ザ・シューター
特殊な技術を、利用する側される側。
それが特殊であればあるほど、ろくなことに使わない輩も出てくるわけで。
ろくでもない輩に、いかにして制裁を加えるか。
そこにもまた、同じ特殊技能が活用される。
そして、制裁される側となったろくでもない輩は、
保身に走ろうとして多大な犠牲を出し、
エゴと共にその身を砕かれ、無様で惨めな姿をさらしていく。
しかし、この作品を見ると、
バベルで、ライフル試し撃ちで遠距離のバスを撃ち抜くのって実際どーなのよ、
とか思ってしまいますが。
普通当たらないよなー、そんな距離。
しゃべれども しゃべれども
落語好きな筆者ですこんにちは。
でも、今回は、落語家というキーワードではなくて、
予告の
弟子)こっちは聞いて欲しくて喋ってるんです
師匠)解って無ぇなぁ
に惹かれて見に行った感じですね。
待ちきれなくて原作小説も読みました(笑)
何というか、
何かを伝えよう見せようと気負い藻掻いている状態と、
精一杯演技しきることだけを思って行動している状態と。
一見真剣にやっているように見えるモノほど実は片手間で、
片手間にちょいちょいとしかやってないんじゃないかと見えるようなモノのほうが本人は真剣で。
ボラット
ボラット。
賛否両論大暴れ。
何というか、元気が出るテレビとか電波少年とか的な感じというか、
突撃度と無遠慮度と、世間(先進国/アメリカ)とのギャップと。
都会的に築き上げられた世界から見ると、おもいっきり異質。
でも、その異質さが故に、
マトモだと思いこんでいた方の世界の中に埋もれた異質さにもまた、
スポットライトが当たる。
異文化コミュニケーションの不整合の話という意味では、
ある意味バベル。
シリアスに描くか、コメディ化するかの違いは大きいけれど。(笑)
でもなー…
やっぱ笑いよりも不快感のほうが大きいですね、筆者としては。
もうちょっとこう、相手の文化を知ろうとする姿勢がある中で
ギャップが描き出されていれば…と思いました。