通り過ぎ行く情報群
今の世の中、到底追い切れないほどの情報が、
日々生成され、どんどん流れていきます。
その大半は、Internet上のどこかに堆積し、
検索エンジンという遺跡発掘装置によって掘り起こされるのを待ちます。
しかし、そうした情報群も、
積極的に見てみようと思わない限り、ただ通り過ぎて堆積していくだけ。
たとえ興味があったとしても、自分から見ようとしない限り、入ってきません。
最近、
TVを見ないことにした、とか、
日記blogを巡回しないことにした、とか、
小説を読むのをやめた、とか、
そういうShutOut系の情報流量コントロールをしているヒトを、見かけます。
確かに、氾濫する情報に翻弄されることは、無くなるでしょう。
でもそれって、もしかしたら有用な情報が流れてくるかも知れないchannelを、
自ら閉ざしてしまっているだけなんじゃないか、と、筆者は思うのです。
そして、選択的に開けたchannelから来る情報に、そこに乗っている思想に、
大きく影響されてしまうと、思うのです。
海のモノとも山のモノともつかなくても、とりあえず見る。
用が無いなと思ったら、ただ、見流せば良い。
変な思想が乗っているなと思ったら、そこだけ取り除いて解釈すればいい。
物理的に時間が追いつかないというのであれば、無理強いするようなコトでもありませんが、
興味と時間と金銭が許す限り、出来るだけいろいろなモノに触れてみるというのが、
筆者的には、一番良いのではと思います。
不都合な真実
不都合な真実を観てきたわけですが。
何というか、2時間の地球温暖化対策プレゼンテーションを聴講したような感じですね。
お金払って見るようなモノかどうか…(汗)
しかし、たぶん映画の趣旨とは違うところで、
なんとなく感じるものがありました。
伊勢神宮
はぃ、
日帰りお伊勢参りです(ぇ
筆者的には、混んでる内宮よりも空いてる外宮のほうが、
なんとなく惹かれますね。
って、別に人が多いから少ないからってわけじゃないんですが(笑)
前回来た時は、神経の隅々までが研ぎ澄まされるようなピリピリ感が
全身を駆けめぐったんですが、
今回は、近づくにつれてなんか喧騒感と嘔吐感みたいなのから始まって、
スッキリ落ち着いてみれば清涼感と和み感というか。
やっぱり何か憑いてたのかな(滝汗)
紅白丼
東名・日本平PAにて。
静岡と言えば、釜揚げのしらす&桜海老でしょう。
ということで、2色どんぶりの「紅白丼」です。
ご当地メニュー的には普通の食べ物だけど、
他地域から考えると結構な贅沢メニューだなー、なんて思いますね。
転落
えーっと…
駅のホームで、線路に転落しました(×
乗り換えで、反対側のホームの電車が来たらそっちに乗るはず、だったんですが、
なんとなく電車が来た気がして、さっき降りた側のホームへ…
何の疑いもなく、一歩前へ(ぇ
ふと気付くと、線路の上(×
まぁ、左手首と左膝をちとひねって、右肘と下唇が打撲で、
既に神経の入ってない前歯を1本折ったくらいですが…
あー。後続列車とか入線してこなくて良かった。
これ、はねられてたら事故じゃなくて自殺になるんだろうか、客観的には。
最近、妙な敵意とか邪気邪念とかが飛び交ってるからなぁ…
怖い怖い。
魔列車でも来たかな?(違
あなたになら言える秘密のこと
TOHO六本木ヒルズ。
スーパーレイト上映…だけどいつものユナイテッドやワーナーみたいに深夜割引があるわけじゃなくて、
1800円のままなのはちと高いなぁ、とか思ってみたり。(汗)
で、あなたになら言える秘密のことを観てきました。
ある経験を腹にしまい込んで、日々を淡々と生きていく。
ある種の達観なのかも知れないけれど、寂しくもあり。
そうして秘密を抱えた人たちが、少しずつ打ち解けていき…
干渉の深さではない。
絆のアンカーの深さ。
深さの指し示す場所は同じだが、そこに入り込んでいくものは、別物である。
結局、表面的なところで「癒し癒し」と騒いでいるようなことでは、
人生で造り上げたものの白い部分にばかり照明を当てているだけでは、
真に癒されることなど無いのではないか、と思った。
表面的に取り繕う…
先日見たニュース、「ペンキで緑化」を思い出した。
あるいは、癒しを語りつつ選民意識でテロ的行為に向かう団体とか。
関係をゼロに戻すのではなく、微少なれど永続的敵意を残すヒトとかも、同じようなものである。
真の浄化と成長とは何か。
とても深いテーマである。
どろろ
なんか、
朝から晩まで映画観てますね(笑)
あいだは仕事してましたが。
さて。
どろろです。
何というか、ドラクエ的というか、
コンシュマー機RPGっぽさがありますね。
目の前にある目標、つまり目の前にいる妖怪を退治すると
失われていた自分の身体が一部返ってくる、という。
大きなストーリーとしては、そんな身体にされる元凶である父への復讐とか、
その父がまさに筆頭となっている戦を終息させるとかなんだろうけど、
ともかくまずは目先から片付けていく、と。
大きなストーリーのほうを、
「あ、なんだ親子ゲンカか」と言ってしまうと
急に話が小さくなってしまいますが(笑)
その裏側にある、犠牲にしてはいけないものとは何か、
そこに生じる憎悪と復讐とは何か、
そういったトコロを感じられました。
世界最速のインディアン
いつものユナイテッドでやってないので、たまにはワーナーマイカル。
世界最速のインディアンです。
1つの夢にここまで打ち込むとなると、
これはもう下手の横好きでも苔の一念でもなくて、
マトモな技術向上を持って1つのコトに挑む、って感じですね。
技術向上無しでも真剣にやってれば~、なんていう
昨今のニート的サブカル方面にありがちな話なんかじゃなくて、
愉しみながら、本当に頂点を目指そう、という心意気が感じられます。
筆者が高校時代に、Fox Huntingという競技に打ち込んでいたのを思い出しました。
電波の発信源を探して、受信機を担いで山の中を駆け回ったりする競技です。
試行錯誤を繰り返しているうちに、
普通は5dBとか10dBとかの減衰器を、アンテナの指向性を活かすために補助的に使うところを、
100dB以上の(周囲からはありえないと言われた)超強力減衰器をメインに使うことを思いついて、
材料パーツとして使用する抵抗器の値を計算したり、
電波が回り込まないような工夫をあれこれ考えたり。
結果、
周りが1時間以上かかっても発信源を全部特定できないところを、
10分台で全部特定してゴールしてしまったりとか。
なるように任せてしまうだけではなくて、
愉しみながら真剣にやることで、大きな結果がつかめるんだなと
そんなことを、あらためて思いました。
Dear Friends
公開終了になっちゃう前に、駆け込みで。
Dear Friends観てきました。
友とは何か…
表面的な交流に始終する間柄
利用価値によって繋がる間柄
相乗効果を期待する間柄
困っている状況を見たら助けようとする間柄
安心して思考の一部を預けられる間柄
共に成長しようとする間柄
相手の成長を望んで指摘の出来る間柄
…スタンスと解釈はまちまちですが。
表面的になればなるほど、関係性は希薄になり、簡単に切り捨てる。
あるいは、友情を深めようという相手を、邪魔だと思うようになる。
その結末は、孤立と虚飾、そして空虚な心なのだろうと、思います。
筆者としては…
1段階でも2段階でも、少しずつ深い関係を築いていきたいですね。