DREAM GIRLS
ブロードウェイ・ミュージカルから映画化された、DREAM GIRLS。
埋もれているArtistを売り出していくためのMetamorphoseだけに留まらず。
Majorityによる文化侵食、とでも言うんですかね、
より売れる形態へと、Artistの望まない方向へとMetamorphoseをしていってしまう。
自己追求に始終し、大衆に知られることなく活動するか、
大衆の求めるモノを演じる道化になるのか、
はたまた、自己の表現を大衆向けに咀嚼して、より広い範囲に伝達していくのか、
あるいは、
中間業者のエゴで、望まれるモノを提供する人が居るのにその経路が閉ざされるか…
望まないモノで栄光を掴むか、
望むモノを追いかけて栄光を逃すか。
究極的な選択に追い込まれて、
表舞台から去るという選択をしたヒト達、
表舞台で演じられることが無くなったコンテンツ達への
鎮魂歌とでもいうところだろうか。
そして、
あるコンテンツが表舞台から消えることに対する、
大衆の無関心さへの警鐘もまた、含まれているのではないかと。
天国は待ってくれる
天国は待ってくれるを観てきました。
聖なる三角形は永遠の三角形
それは、ある絶妙なバランスの上に、成立している。
そのバランスを欠こうとした時、関連する諸々にもまた、波及していく。
波及する先のバランスなんて、はじめは考えてないんだろうけど、
その先までを感じ取り、受け容れ、腑に落ちた時、
欠いていたバランスもまた、正常に近づいていく。
最近周囲で、バランスを欠いているあんなコトやこんなコト。
いろいろな集団、いろいろな人に関わってると、
そういう話にもそれなりに遭遇するわけですが。
そのうち、良い関係に戻っていくのかな。
通り過ぎ行く情報群
今の世の中、到底追い切れないほどの情報が、
日々生成され、どんどん流れていきます。
その大半は、Internet上のどこかに堆積し、
検索エンジンという遺跡発掘装置によって掘り起こされるのを待ちます。
しかし、そうした情報群も、
積極的に見てみようと思わない限り、ただ通り過ぎて堆積していくだけ。
たとえ興味があったとしても、自分から見ようとしない限り、入ってきません。
最近、
TVを見ないことにした、とか、
日記blogを巡回しないことにした、とか、
小説を読むのをやめた、とか、
そういうShutOut系の情報流量コントロールをしているヒトを、見かけます。
確かに、氾濫する情報に翻弄されることは、無くなるでしょう。
でもそれって、もしかしたら有用な情報が流れてくるかも知れないchannelを、
自ら閉ざしてしまっているだけなんじゃないか、と、筆者は思うのです。
そして、選択的に開けたchannelから来る情報に、そこに乗っている思想に、
大きく影響されてしまうと、思うのです。
海のモノとも山のモノともつかなくても、とりあえず見る。
用が無いなと思ったら、ただ、見流せば良い。
変な思想が乗っているなと思ったら、そこだけ取り除いて解釈すればいい。
物理的に時間が追いつかないというのであれば、無理強いするようなコトでもありませんが、
興味と時間と金銭が許す限り、出来るだけいろいろなモノに触れてみるというのが、
筆者的には、一番良いのではと思います。