何かを理解しようとすること
たまたま興味を惹いた何かを、理解しようとする。
だが、分析だけが「理解をしようとする行為」ではない。
全然違うアプローチを試みたりする。
間違い探しをする時に、個別の変化があるか無いかを追いかけたりせず、
全体をまとめて捉えて、違和感がある場所が浮かび上がるのを待ったりする。
aha! experienceに触れる以前からの傾向だけど、
あまりに抽象化した全体を見てしまうが故に、
現実的にそれが何なのかから、たまに離れてしまうこともある。(汗)
何かに行き詰まった時に、それを棚上げして、但しその存在は絶対に忘れずに、
全く別のことをはじめる。
それは、気分転換でもあり、
また、新しいIdeaを見つけるための旅でもある。
こういうApproachを採っていても、
「あいつは○○を『理解しよう』としている」
なんて言われたりも、する。
確かに、理解しようとしていることには相違ないが、
その言葉の持つ意味には、相違がある。
分析により、論理解を追求すること。
発想とひらめきを愉しみ、腑に落ちる解釈を授かること。
新案を、自己の知識Scaleに合わせたところで、
解釈できるどころか悩みが深まるだけである。
新案を試すことを愉しみ、世界を拡げていく。
それこそが成長であり、真の理解なのだと、筆者は思います。
FF3を少しずつ
そろそろ、はじめのマップの隅々まで行けるかなー、って感じ。
渦が消えて、航海範囲が拡がった、って言えば
playしたヒトならわかるでしょう。
全員2刀流。
白魔も属性杖2本持って殴ります(爆)