伯方島
伯方の塩、の伯方島ですね。
尾道まで来たので、そのまましまなみ海道に突入してみました(笑)
せら公園
せら夢公園。
広島県世羅郡世羅町…都内からだと片道850kmくらいですか(汗)
SERA乗りの集まりを、「せら」という地名の場所でやったわけです。
まぁ、筆者のSERAは入院中なので…R2で行ったわけですが。。
幸福な食卓
気づいていないところで、みんな守られている。
気づいていないが故に、守ってくれる存在を蔑ろにしてしまったり、
気づいたところで、照れて結局何も言えなかったり、あるいは過剰反応になったり、
そんな中でも、何とかバランスが取れた上にある、幸せ。
大きく傾いて、取り落としてしまったとしても、
それに気づいたら、またバランスを取り直せばいい。
きっと、バランスは元に戻る。皆が生きている限り。
そう信じる心を、支えてくれるような映画ですね。
魂萌え!
魂萌え!。
近場の映画館では公開終了してしまったので、
ちょっと遠出して観てきました。
信じているが故に、言葉にしなかった部分。
純粋であるが故に、利用されてしまう部分。
ちょっとしたことに翻弄され、一喜一憂する。
それにしても…世の中、悪党が多い。
それも、見せかけの優しさでカモフラージュする悪党が。
真の優しさを持って行動したいという気持ちを抱きつつ、
それが悪党のカモフラージュではないことも伝えなければならない。
まったく、難しい世の中である。
ゆれる
アンコール上映のゆれる。
新作は1800円とか割引1500円とかだけど、旧作ってことで1000円で見れました♪
橋もゆれるが、心もゆれる。
守るもエゴ、攻めるもエゴ、
堅実派は発狂し、傾奇者は冷静に見つめる。
何に対しての罪と罰なのか。
刑法199条で争っているのは、検察と弁護士だけ。
当事者としては、心理的な罪悪感や、近所づきあいへの懸念だったり。
この辺の、ある種の滑稽さは、
愛の流刑地の裁判シーンにも通ずるものがありますね。
あー、
それでもボクはやってないも観に行こうかなー。
何かを理解しようとすること
たまたま興味を惹いた何かを、理解しようとする。
だが、分析だけが「理解をしようとする行為」ではない。
全然違うアプローチを試みたりする。
間違い探しをする時に、個別の変化があるか無いかを追いかけたりせず、
全体をまとめて捉えて、違和感がある場所が浮かび上がるのを待ったりする。
aha! experienceに触れる以前からの傾向だけど、
あまりに抽象化した全体を見てしまうが故に、
現実的にそれが何なのかから、たまに離れてしまうこともある。(汗)
何かに行き詰まった時に、それを棚上げして、但しその存在は絶対に忘れずに、
全く別のことをはじめる。
それは、気分転換でもあり、
また、新しいIdeaを見つけるための旅でもある。
こういうApproachを採っていても、
「あいつは○○を『理解しよう』としている」
なんて言われたりも、する。
確かに、理解しようとしていることには相違ないが、
その言葉の持つ意味には、相違がある。
分析により、論理解を追求すること。
発想とひらめきを愉しみ、腑に落ちる解釈を授かること。
新案を、自己の知識Scaleに合わせたところで、
解釈できるどころか悩みが深まるだけである。
新案を試すことを愉しみ、世界を拡げていく。
それこそが成長であり、真の理解なのだと、筆者は思います。
FF3を少しずつ
そろそろ、はじめのマップの隅々まで行けるかなー、って感じ。
渦が消えて、航海範囲が拡がった、って言えば
playしたヒトならわかるでしょう。
全員2刀流。
白魔も属性杖2本持って殴ります(爆)
DREAM GIRLS
ブロードウェイ・ミュージカルから映画化された、DREAM GIRLS。
埋もれているArtistを売り出していくためのMetamorphoseだけに留まらず。
Majorityによる文化侵食、とでも言うんですかね、
より売れる形態へと、Artistの望まない方向へとMetamorphoseをしていってしまう。
自己追求に始終し、大衆に知られることなく活動するか、
大衆の求めるモノを演じる道化になるのか、
はたまた、自己の表現を大衆向けに咀嚼して、より広い範囲に伝達していくのか、
あるいは、
中間業者のエゴで、望まれるモノを提供する人が居るのにその経路が閉ざされるか…
望まないモノで栄光を掴むか、
望むモノを追いかけて栄光を逃すか。
究極的な選択に追い込まれて、
表舞台から去るという選択をしたヒト達、
表舞台で演じられることが無くなったコンテンツ達への
鎮魂歌とでもいうところだろうか。
そして、
あるコンテンツが表舞台から消えることに対する、
大衆の無関心さへの警鐘もまた、含まれているのではないかと。