トゥモロー・ワールド
レイトショーまで観てしまいました。
ということで、トゥモロー・ワールド。
イギリス映画って難解ですね。(笑)
人類の繁殖能力が無くなった世界…
更に、難民排斥、選民保身とか、
新興宗教に救いを求めたりとか。
現代も、実はそこに足を踏み入れてつつあるんじゃないか、
そんなことを考え込んでしまいました。
というか、自分の楽しみ、快楽、生活、学び、成長、自己表現、
あるいは、オカルト的ないしスピリチュアル的に魂の成長とか、
そういうものに偏向してしまい、
次世代を紡ぐことを、あまりにも見なさすぎるのではないかな、と。
人類、というecosystemに属する以上、
限りある命の中でやるべきことがまずあるんじゃないか、
更にその中で、楽しみとか成長とかを築き上げていければ
そんなhappyなことは他にないんじゃないか。
そういう視点を忘れると、
この映画みたいに、18年も新生児が居ないような世界が来ても
不思議じゃないかも、と思いました。
カジノ・ロワイヤル
カジノ・ロワイヤル。007ですね。
出てくるアイテムがかなり現代。
携帯電話も画素数スゲー、って感じ(笑)
通信網も、NetworkとかLineとかじゃなくて、Webって言ってるし。
って、そんなトコ見てる場合じゃないですね。
相手にとって必要だと思う情報を、話す。
あろうことか、その相手に留まらず、渦中の人の耳にまで漏れていたりする。
まぁ、世界設定が諜報合戦であれば、スパイ同士の化かし合いなわけですが。
誰が味方で、誰が敵なのやら。
行き着くところは、疑心暗鬼?
でも、信頼して話し、信頼して活動した相手の中には、
一片の良心を持つ者もいるはずである。
それを信じて行動したいな、と、
そんな気分になりました。
昔は、冷徹な一匹狼に憧れてたこともあるけど、ね。
武士の一分
先日の硫黄島2部作で、映画熱がふつふつと…
ということで、まずは武士の一分。
キムタク登場の時代物ですね。
壇れいカワイイ…
いや、そういう話でなくて。
ラストでふと、自分を振りかえる。
あの時、自分がある行動をしなければ、
自分の心が暴走して、誰かを妬むことも恨むことも、
悲しむことも苦しむことも、無かったのだろうか?
でも、その行動は、エゴ?ちっぽけなプライド?譲れない一分?
それは、自分のため?それとも、誰かのため?
あるいは、何も考えずにただ安穏と過ごしていれば良かったのか?
いや、無いな。そんなことは、無い。
あの時、あの選択をしたからこそ、今の状態があり、学んだことがある。
そして、その状況を通ったからこそ、関わり合いのある何かが、ある。
得たものがあるのなら、そこには成長の喜びが、きっとある。
そんなことを思いました。