敬愛なるベートーヴェン
さて、もう1本。
敬愛なるベートーヴェンです。
変奏曲、遁走曲。
言うなれば、クラシックにおけるジャズ。
ある旋律が脈動する姿は、素晴らしいものだが、
やはりそれも、ある一線に達すると、
一般のキャパシティとしては飽和してしまい、
以後は過剰であり苦痛となり、崩壊してしまう。
その越え難き一線を越えると、
そこは、ある意味ではとても素晴らしい世界かもしれない。
しかし、それは同時に、他の場所にもある素晴らしさを受け取ることを、
全て捨てているのではないかと、思う。
そして、この作品で採り上げられている「第九」の演奏会は…
アンナという理解者によって、その一線上ギリギリに完成することができた、
そんな気がします。
最大の幸せというのは、
越え難き一線のわずか手前を複数愉しみつつ、
現実世界に根を下ろし続けることにあるのではないか、
そしてそれは、ソナタにおいて2つの主題が葛藤し融和していくように、
2つの異なる視点がうまく調和することにあるのではないか、
そんなことを、思いました。
こまねこ
こまねこ。
ほのぼのとした雰囲気は、コマ撮りのぬいぐるみ達によるものでしょうか。
リラックスして、童心に返って、観れました。
そして、
現代って、「見なかったことにする」を多用する世界であるがゆえに、
その先にある「良いこと」も見えなくなってるなぁ、と
そんなことを思いました。
心の隙間から、あたたかさを注入してくれるような作品ですね。
表現する
筆者が、blogに何かを書き残すスタンスが、
少しずつ変化しています。
はじめの頃は、情報になりそなモノを主体に、
悩みとか葛藤とか毒っ気のあるモノとかは全面禁止だったのですが、
最近は、葛藤面とか心境とかも綴るようになってきました。
それは、
グレーな部分、黒い部分にフタをして見ないことにしてしまうのは簡単だけど、
そんなことをしても問題の先送りとか、表面的な話に始終するとか、
要は根本的な深いところは何も表現できなくなってしまうな、
と思うようになったからかもしれません。
毒を吐きあって、傷つけあっていた数年。
心地よいと感じられるであろう表現ばかり作っていた数年。
そして、内面も表現していこうと思っている昨今。
対症療法ではなく、根治を目指す旅は、険しい。