墨攻
墨攻を観てきました。
味方をも信じることの出来ない独裁者。
大群の力を過信する将。
そんな世界で粉骨砕身する、墨家からの使者。
戦略戦術、守ること、敵を掃討することの意味、
道徳と正しさ、愛と道理のギャップ、
一人が叫んだところで止まることのない集団の暴走や嫉妬、
理不尽な世界で、失ったものは多く、
彼らが得たものは…スクリーンを通して観客が得たものは…
深いなぁ。
ユメ十夜
鴎外せんせーっ(×
1000円紙幣の切り替え以降、
ずーっと財布に入っていた、1枚の旧1000円札。
その肖像画は、夏目漱石。
そんな旧札で支払うと鑑賞代1000円、ということで、
観てきましたよ、ユメ十夜。
まぁ、現代脳科学的にというか、海馬の働きを中心に考えてしまえば、
実体験とか懸念事項とか、あるいは見聞きした情報とかを
とりとめもなくあれこれと組み合わせて出来上がるのが夢なわけですが、
流石は漱石先生の夢の世界、深いなぁ…と思いました。
心の深淵を覗き込むようなシリアス夢もあり、
それとこれを合わせちゃうのかっ!っていうコメディ夢もあり。
1話1話が10分程度の短編だなんて思えないくらい、濃い。
しかも、1話ごとに監督からキャストからみんな違うので、
幕の内弁当的というか、いろんな世界観も見れてかなりお得。
表面的面白さでスカッと観て来るも良し、
深~いところのストーリーに心を震わせて来るも良し、
いろんな人にオススメできそうですね~。
でも、一番深いところのストーリーは、かなり咀嚼力が必要かも。
ディパーテッド
はぃ、本日3本目です。
ディパーテッド。
前のエンドロールが終わって、次のスクリーンに移動する時間が2~3分、
という状況で3本ハシゴするとは思わなかった…(汗)
それはともかく。
普通のスパイものと違って、マフィアvs警察ということで
あまりスマートなものではないですね。
最近、字幕あまり見ないことが多いんですが…
何というか、うひーお下品な言葉遣いぃー、みたいな(何)
力を力でねじ伏せようとしている世界に身を置く者達。
関わりたくないなぁ(汗)
でも。
仮想人格で行動するのって、結構キツイですね。
そんなとこだけ、妙に共感。
僕は妹に恋をする
続けて2本目。
僕は妹に恋をするです。
最近、結構な本数の映画を観てる筆者ですが、
あんまり、登場人物の誰かの視点に入ってしまうコトって無いです。
でも今回は…ほぼ完全に、矢野君の視点で観てましたね。
彼の登場していないシーンでも、
この状況に居たら○○って言うだろうなー、って感じで。
マリー・アントワネット
やけに席埋まってるし、しかも女性多いなー…
と思ったら、今日レディースデーか。
公開初週だし、作品が作品なだけに、納得。
ということで、マリー・アントワネットです。
虚飾と欺瞞の宮殿。
世間知らずなニート的政治。
伝統的規範で動かされる着せ替え人形の人生。
引きこもりヲタ的な生活。
傍にいる妻よりも、錠前の技術に没頭する夫。
そんな世界を、心から受け容れ愛することが出来るだろうか…
きっと、孤独感がどんどん膨れあがっていったのではと、思います。
そして、その孤独感をマヒさせる、更なる虚飾と、お菓子の山。
そんな喧騒から離れた、LOHASな村の別邸。
それはきっと、マリーには唯一の安息の場所だったに違いない。
最後、王は責任と強制終了について考えていたようだけれど、
王妃のほうは、夫に対する愛と覚悟と言うよりは、
自分の人生を満了したような印象でした。
どんな逆境でも。自分の人生に、自分なりの楽しみを見いだし、進んでいく。
素晴らしい生き方だと思います。
そして、逆境の要因となった諸々については、悲しくも思います。
こんな素晴らしい人が、もしもっと違う環境に居たら…なんてね。
リトル・ミス・サンシャイン
なんて言うのかな、
固執と挫折の物語?
こうも違う方向の固執を持った人の集まった家族、ってのも
なかなか無い気がするけど(笑)
今目の前にある幸せを、
固執のためにストイックに全て捨てていく…
その結果、何が残るのか。
固執の先にあるものより、
目の前にある幸せこそ、すばらしいものなのでは…
固執に挫折をしたところで、気付く。
この作品を観て、
笑える人のグループが2つ、
笑えない人のグループが1つに
分けられるような気がします。
負け組を嘲笑う人、
自分の中の固執に気付かされて笑えない人、
固執と挫折の因果からの成長に微笑む人。
コメディ、と言うには痛烈ですね。
敬愛なるベートーヴェン
さて、もう1本。
敬愛なるベートーヴェンです。
変奏曲、遁走曲。
言うなれば、クラシックにおけるジャズ。
ある旋律が脈動する姿は、素晴らしいものだが、
やはりそれも、ある一線に達すると、
一般のキャパシティとしては飽和してしまい、
以後は過剰であり苦痛となり、崩壊してしまう。
その越え難き一線を越えると、
そこは、ある意味ではとても素晴らしい世界かもしれない。
しかし、それは同時に、他の場所にもある素晴らしさを受け取ることを、
全て捨てているのではないかと、思う。
そして、この作品で採り上げられている「第九」の演奏会は…
アンナという理解者によって、その一線上ギリギリに完成することができた、
そんな気がします。
最大の幸せというのは、
越え難き一線のわずか手前を複数愉しみつつ、
現実世界に根を下ろし続けることにあるのではないか、
そしてそれは、ソナタにおいて2つの主題が葛藤し融和していくように、
2つの異なる視点がうまく調和することにあるのではないか、
そんなことを、思いました。
こまねこ
こまねこ。
ほのぼのとした雰囲気は、コマ撮りのぬいぐるみ達によるものでしょうか。
リラックスして、童心に返って、観れました。
そして、
現代って、「見なかったことにする」を多用する世界であるがゆえに、
その先にある「良いこと」も見えなくなってるなぁ、と
そんなことを思いました。
心の隙間から、あたたかさを注入してくれるような作品ですね。
ラッキーナンバー7
またハシゴです(笑)
続いては、ラッキーナンバー7。
唐突感だらけのストーリー。
それらは、用意周到な計画的伏線なんだけど、
見てる側ですらそうとは気付かない。
そういうギャップ感は良いんだけど、
その割には、落としどころの話は随分小さくないかぃ?
と思ってしまいました(汗)
愛の流刑地
またも公開初日から見に行ってしまいました(笑)
深いですね、このストーリー。
硫黄島もイロイロ考えさせられましたが、
愛の流刑地もまた、イロイロ考えさせられる、良いストーリーでした。
はい、以下は毎度の通り、
筆者の人生観と混ざった感想です(笑)
「普遍的客観性」って何なんだろう…
当事者の主観でしか表現できない世界。
それを「解釈」しようとする、別の人の主観。
そこに相違があることを認め合えればいいのだけれど、
認めないが故に、あるいは立場上認めていないように振る舞うが故に起こってしまう、茶番劇。
ただ、1つ言えるとすれば、
主観の中にしかない幸せは、同時に、周囲を傷つけていると言うこと。
当事者本人は幸せかもしれないけれど、より多くの不幸を巻き起こすことでしょう。
そして、主観的幸せの代償としての、罪と罰。
溺れたい世界と、そこに飛び込む選択をすることに伴う責任と覚悟。
まぁ、筆者個人的には、
何かを代償にした幸せは、真の幸せじゃない気がしますけど、
それでも本人にとっては幸せなのかもと思うと、複雑な心境です。
王の男
韓国映画ですね。
ビビるな、命がけで臨めば、風刺芸でも伝わる。
権威で寂しさは癒せない。愛のない世界はむしろ朽ちるだけである。
そんなことを言ってるような感じですね。
鉄コン筋クリート
作品の持つパワーの強さは感じられるが、
ストーリーというよりも、採った表現によって
難解さを呼び込んでしまっている感じがある。
一般理解という観点を置き去りにして
仕上げられてしまった感じがするのだ。
咀嚼をしないと、消化できない感じがするのだ。
いわゆる、サブカル的難解さ、といった感じである。
なんか、久しぶりに「ディスコミュニケーション」を
読みたくなったのは、作中に使われていた
モチーフ群のせい、かな。