長州ファイブ
長州ファイブを観てきました。
幕末モノですね。
伊藤博文とかのロンドン留学の話です。
上の方針と自分の信念、
やりたいこととやるべきこと、
衝動と理性、
守るべきものと犠牲にせざるを得ないもの、
迷いが無いなんてコトはない。
日々、葛藤の中を、真剣に生き抜く。
お高くとまっているような人生より、よっぽど美しい。
幸福な食卓
気づいていないところで、みんな守られている。
気づいていないが故に、守ってくれる存在を蔑ろにしてしまったり、
気づいたところで、照れて結局何も言えなかったり、あるいは過剰反応になったり、
そんな中でも、何とかバランスが取れた上にある、幸せ。
大きく傾いて、取り落としてしまったとしても、
それに気づいたら、またバランスを取り直せばいい。
きっと、バランスは元に戻る。皆が生きている限り。
そう信じる心を、支えてくれるような映画ですね。
魂萌え!
魂萌え!。
近場の映画館では公開終了してしまったので、
ちょっと遠出して観てきました。
信じているが故に、言葉にしなかった部分。
純粋であるが故に、利用されてしまう部分。
ちょっとしたことに翻弄され、一喜一憂する。
それにしても…世の中、悪党が多い。
それも、見せかけの優しさでカモフラージュする悪党が。
真の優しさを持って行動したいという気持ちを抱きつつ、
それが悪党のカモフラージュではないことも伝えなければならない。
まったく、難しい世の中である。
ゆれる
アンコール上映のゆれる。
新作は1800円とか割引1500円とかだけど、旧作ってことで1000円で見れました♪
橋もゆれるが、心もゆれる。
守るもエゴ、攻めるもエゴ、
堅実派は発狂し、傾奇者は冷静に見つめる。
何に対しての罪と罰なのか。
刑法199条で争っているのは、検察と弁護士だけ。
当事者としては、心理的な罪悪感や、近所づきあいへの懸念だったり。
この辺の、ある種の滑稽さは、
愛の流刑地の裁判シーンにも通ずるものがありますね。
あー、
それでもボクはやってないも観に行こうかなー。
DREAM GIRLS
ブロードウェイ・ミュージカルから映画化された、DREAM GIRLS。
埋もれているArtistを売り出していくためのMetamorphoseだけに留まらず。
Majorityによる文化侵食、とでも言うんですかね、
より売れる形態へと、Artistの望まない方向へとMetamorphoseをしていってしまう。
自己追求に始終し、大衆に知られることなく活動するか、
大衆の求めるモノを演じる道化になるのか、
はたまた、自己の表現を大衆向けに咀嚼して、より広い範囲に伝達していくのか、
あるいは、
中間業者のエゴで、望まれるモノを提供する人が居るのにその経路が閉ざされるか…
望まないモノで栄光を掴むか、
望むモノを追いかけて栄光を逃すか。
究極的な選択に追い込まれて、
表舞台から去るという選択をしたヒト達、
表舞台で演じられることが無くなったコンテンツ達への
鎮魂歌とでもいうところだろうか。
そして、
あるコンテンツが表舞台から消えることに対する、
大衆の無関心さへの警鐘もまた、含まれているのではないかと。
天国は待ってくれる
天国は待ってくれるを観てきました。
聖なる三角形は永遠の三角形
それは、ある絶妙なバランスの上に、成立している。
そのバランスを欠こうとした時、関連する諸々にもまた、波及していく。
波及する先のバランスなんて、はじめは考えてないんだろうけど、
その先までを感じ取り、受け容れ、腑に落ちた時、
欠いていたバランスもまた、正常に近づいていく。
最近周囲で、バランスを欠いているあんなコトやこんなコト。
いろいろな集団、いろいろな人に関わってると、
そういう話にもそれなりに遭遇するわけですが。
そのうち、良い関係に戻っていくのかな。
不都合な真実
不都合な真実を観てきたわけですが。
何というか、2時間の地球温暖化対策プレゼンテーションを聴講したような感じですね。
お金払って見るようなモノかどうか…(汗)
しかし、たぶん映画の趣旨とは違うところで、
なんとなく感じるものがありました。
あなたになら言える秘密のこと
TOHO六本木ヒルズ。
スーパーレイト上映…だけどいつものユナイテッドやワーナーみたいに深夜割引があるわけじゃなくて、
1800円のままなのはちと高いなぁ、とか思ってみたり。(汗)
で、あなたになら言える秘密のことを観てきました。
ある経験を腹にしまい込んで、日々を淡々と生きていく。
ある種の達観なのかも知れないけれど、寂しくもあり。
そうして秘密を抱えた人たちが、少しずつ打ち解けていき…
干渉の深さではない。
絆のアンカーの深さ。
深さの指し示す場所は同じだが、そこに入り込んでいくものは、別物である。
結局、表面的なところで「癒し癒し」と騒いでいるようなことでは、
人生で造り上げたものの白い部分にばかり照明を当てているだけでは、
真に癒されることなど無いのではないか、と思った。
表面的に取り繕う…
先日見たニュース、「ペンキで緑化」を思い出した。
あるいは、癒しを語りつつ選民意識でテロ的行為に向かう団体とか。
関係をゼロに戻すのではなく、微少なれど永続的敵意を残すヒトとかも、同じようなものである。
真の浄化と成長とは何か。
とても深いテーマである。
どろろ
なんか、
朝から晩まで映画観てますね(笑)
あいだは仕事してましたが。
さて。
どろろです。
何というか、ドラクエ的というか、
コンシュマー機RPGっぽさがありますね。
目の前にある目標、つまり目の前にいる妖怪を退治すると
失われていた自分の身体が一部返ってくる、という。
大きなストーリーとしては、そんな身体にされる元凶である父への復讐とか、
その父がまさに筆頭となっている戦を終息させるとかなんだろうけど、
ともかくまずは目先から片付けていく、と。
大きなストーリーのほうを、
「あ、なんだ親子ゲンカか」と言ってしまうと
急に話が小さくなってしまいますが(笑)
その裏側にある、犠牲にしてはいけないものとは何か、
そこに生じる憎悪と復讐とは何か、
そういったトコロを感じられました。
世界最速のインディアン
いつものユナイテッドでやってないので、たまにはワーナーマイカル。
世界最速のインディアンです。
1つの夢にここまで打ち込むとなると、
これはもう下手の横好きでも苔の一念でもなくて、
マトモな技術向上を持って1つのコトに挑む、って感じですね。
技術向上無しでも真剣にやってれば~、なんていう
昨今のニート的サブカル方面にありがちな話なんかじゃなくて、
愉しみながら、本当に頂点を目指そう、という心意気が感じられます。
筆者が高校時代に、Fox Huntingという競技に打ち込んでいたのを思い出しました。
電波の発信源を探して、受信機を担いで山の中を駆け回ったりする競技です。
試行錯誤を繰り返しているうちに、
普通は5dBとか10dBとかの減衰器を、アンテナの指向性を活かすために補助的に使うところを、
100dB以上の(周囲からはありえないと言われた)超強力減衰器をメインに使うことを思いついて、
材料パーツとして使用する抵抗器の値を計算したり、
電波が回り込まないような工夫をあれこれ考えたり。
結果、
周りが1時間以上かかっても発信源を全部特定できないところを、
10分台で全部特定してゴールしてしまったりとか。
なるように任せてしまうだけではなくて、
愉しみながら真剣にやることで、大きな結果がつかめるんだなと
そんなことを、あらためて思いました。
Dear Friends
公開終了になっちゃう前に、駆け込みで。
Dear Friends観てきました。
友とは何か…
表面的な交流に始終する間柄
利用価値によって繋がる間柄
相乗効果を期待する間柄
困っている状況を見たら助けようとする間柄
安心して思考の一部を預けられる間柄
共に成長しようとする間柄
相手の成長を望んで指摘の出来る間柄
…スタンスと解釈はまちまちですが。
表面的になればなるほど、関係性は希薄になり、簡単に切り捨てる。
あるいは、友情を深めようという相手を、邪魔だと思うようになる。
その結末は、孤立と虚飾、そして空虚な心なのだろうと、思います。
筆者としては…
1段階でも2段階でも、少しずつ深い関係を築いていきたいですね。