シャーロットのおくりもの
ざっくり言ってしまうと、
子豚と蜘蛛と鼠の物語、ですね。(笑)
自分のやるべきこともちゃんと行ないつつ、
他者を助けるためにも全力を尽くす。
表面上は自分の利益という仮面をかぶっているけど、
心のどこかではやっぱり助けたいと思ってる。
いい話ですね~。
更に、童心にも帰れるし。
大奥
はい、また映画館です。
別に、映画評論家になろうってワケじゃないんですが(笑)
どろどろの凝縮された世界。
怖っ!…とか思いつつ。
毒を制するには、毒を持たざるを得ないのか、
あるいは、体を張って殉じていくしかないのか…
デスノート
つづけて、デスノート。
黒い力による善行は、結局黒でしかないのか…
いや、同じ力を、「自己の存在を守るため」という利己的なところにまで
使用してしまうからではないだろうか、
そんなことを思いました。
振りかざす力が黒であるが故に。
その力のダークサイドに、魅入られてしまう。
気を付けなければ行けない、戒めですね。
プラダを着た悪魔
プラダを着た悪魔を観てきました。
やや、いまさら気味ですが(笑)
数年早く観ていたら、
悪魔の上司と対峙してバリバリ仕事してたかなぁ…
近隣部門に、悪魔っぽい♂上司居るし。
まぁ、そうだったらそうだったで、
やっぱり支給ケータイを噴水にポイッ、と
筆者も捨ててたと思いますが(爆)
犬神家の一族
そーとー映画三昧な最近ですが(笑)
今日もレイトショーに寄ってきました。
なんかこう、憎悪怨念が云々と言うよりは、
核心を隠そうとした事が、何かをまた巻き起こす、というか、
隠し溜め込まれた黒い何かが、あるきっかけで噴出したような、
そんな感じの話ですね。
黒い部分に蓋をしたり、一刀両断に切って捨てたりではなく、
そこに光を当て、混線をほどいていくことが肝要かなぁと
そんなことを考えました。
エラゴン
行ってきました、
封切り初日のレイトショー。
ん~、
普通にheroic sagaだなー。
映画と言うより、アトラクションばりの展開の早さで、
多少の心理描写が吹っ飛んでしまうほどに、ストーリー系情報が多い。
いやぁ竜の力って偉大ですねぇ、っていう感じかなぁ。
ドラマの第1話のような、状況説明の回、って感じで、
深いストーリーは次作以降…なんて、
映画の尺じゃ無いですよね(汗)
トゥモロー・ワールド
レイトショーまで観てしまいました。
ということで、トゥモロー・ワールド。
イギリス映画って難解ですね。(笑)
人類の繁殖能力が無くなった世界…
更に、難民排斥、選民保身とか、
新興宗教に救いを求めたりとか。
現代も、実はそこに足を踏み入れてつつあるんじゃないか、
そんなことを考え込んでしまいました。
というか、自分の楽しみ、快楽、生活、学び、成長、自己表現、
あるいは、オカルト的ないしスピリチュアル的に魂の成長とか、
そういうものに偏向してしまい、
次世代を紡ぐことを、あまりにも見なさすぎるのではないかな、と。
人類、というecosystemに属する以上、
限りある命の中でやるべきことがまずあるんじゃないか、
更にその中で、楽しみとか成長とかを築き上げていければ
そんなhappyなことは他にないんじゃないか。
そういう視点を忘れると、
この映画みたいに、18年も新生児が居ないような世界が来ても
不思議じゃないかも、と思いました。
カジノ・ロワイヤル
カジノ・ロワイヤル。007ですね。
出てくるアイテムがかなり現代。
携帯電話も画素数スゲー、って感じ(笑)
通信網も、NetworkとかLineとかじゃなくて、Webって言ってるし。
って、そんなトコ見てる場合じゃないですね。
相手にとって必要だと思う情報を、話す。
あろうことか、その相手に留まらず、渦中の人の耳にまで漏れていたりする。
まぁ、世界設定が諜報合戦であれば、スパイ同士の化かし合いなわけですが。
誰が味方で、誰が敵なのやら。
行き着くところは、疑心暗鬼?
でも、信頼して話し、信頼して活動した相手の中には、
一片の良心を持つ者もいるはずである。
それを信じて行動したいな、と、
そんな気分になりました。
昔は、冷徹な一匹狼に憧れてたこともあるけど、ね。
武士の一分
先日の硫黄島2部作で、映画熱がふつふつと…
ということで、まずは武士の一分。
キムタク登場の時代物ですね。
壇れいカワイイ…
いや、そういう話でなくて。
ラストでふと、自分を振りかえる。
あの時、自分がある行動をしなければ、
自分の心が暴走して、誰かを妬むことも恨むことも、
悲しむことも苦しむことも、無かったのだろうか?
でも、その行動は、エゴ?ちっぽけなプライド?譲れない一分?
それは、自分のため?それとも、誰かのため?
あるいは、何も考えずにただ安穏と過ごしていれば良かったのか?
いや、無いな。そんなことは、無い。
あの時、あの選択をしたからこそ、今の状態があり、学んだことがある。
そして、その状況を通ったからこそ、関わり合いのある何かが、ある。
得たものがあるのなら、そこには成長の喜びが、きっとある。
そんなことを思いました。
硫黄島の表と裏
映画館行ったの、何年ぶりだろうなー…
A.I.以来です、えぇ(汗)
硫黄島2部作、連続で見てきました。
強大なエゴとエゴのぶつかり合い、戦争。
その渦中に巻き込まれた人々それぞれが、
何に流され、何に抗い、何を想い、何に従い、どう行動したのか。
そして、その強大な力の衝突の末に残った昇華の結晶とは、何なのか。
狂気に支配される者、冷静に状況判断する者。
狂気に対する忠義は、果たして真の義なのか。
宣伝に使われる者、前線に身を投じる者。
玉砕し散っていく者、限界まで戦い続ける者。
それぞれの信念、それぞれの真実とは何なのか。
狂気に対する、冷静からの忠告。
冷静に対する、狂気からの勧誘。
狂気に忠義を誓う時、冷静こそを狂気と判断してしまう。
そして、そこには多大なる損害が積み上がる。
冷静に忠義を誓う時、狂気をいかにして鎮静化させるか。
敵は戦闘相手ではなく、味方の狂気かもしれない。
狂気に殉じた人たちが居たことへの嘆きと悲しみと共に、
彼らが残してくれた教訓を受け取れることを、素直に喜びたい。