アルゼンチンババア
よしもとばなな原作、だそうな。
そんなことは知らずに、
タイトルのインパクトに惹かれて観に行ったんですが(マテ
なんて言ったら良いんでしょうね、
人間の社会的生活の枠というのはある種強烈に人間を縛っていて、
そのタガが外れると、イキイキのびのびと生活できるというか。
でも、人間らしい行動規範の枠の中で疲弊しているのと、
イキイキのびのびと生活しているけど変人と称されるのと、
どっちを人間らしいと言うのでしょう。
これを、単に価値観の相違と言い切ってしまうと
世界は恐らく崩壊してしまうでしょうし、
かと言って、どっちか片方に規定してしまうことも出来ない気がします。
う~む。深い。
UU
だぶる・ゆー。
辻&加護ユニット、ですね。
筆者のiPodはまぁ何というか幅広くあれこれカバーしていて、
たまたまノンジャンル全件random再生をしてたら出てきました。
ふと、先日の、加護ちゃん2回目の喫煙騒動を思い出す。
そりゃ、ルールという観点から見れば、
未成年者喫煙という禁を犯した、と言うことになるわけですが。
でも、本人の行動と言うよりは、
周囲の、というか件の温泉逃避行のお相手の影響、
ってなところではないかなぁと、筆者は思うのです。
疲れを癒す相手役を演じ、悪役を買って出て、最後に、
今回の騒動は俺の不徳によるものだ。責任は全部持つ。亜依、おまえは芸能界に帰れ。
なんて、そんな話には…ならないよな(笑)
などと、たわごとを思いつつ、iPodから再生される曲を聴くのでした。
プロジェクトBB
今日も2本目いってみよ~。
プロジェクトBB、ジャッキーチェンです。
いやぁ、よく動きますね。(笑)
銃を撃ち合ってるだけのアクションより、こっちの方が映像として断然楽しめます。
…ってのはおいといて。
泥棒チームが盗んだのは…赤ん坊、
って誘拐じゃないですか(汗)
まぁ、周辺状況はともかく、
その赤ん坊を保護しつつ複数勢力から逃げるというか、
単に翻弄されてるだけというか。
何かから逃げたりしなくても、
このくらいパワフルに子育て楽しんだらいいのかなと…
んなこと言ってる筆者は独身ですが。ハィ。(汗)
奈のは
映画2本の合間に。
奈のはで夕食です。
自然食ビュッフェ、ってことで、
まぁいろいろなモノを小皿サイズで並べて食べれるわけで。
それぞれが素朴で、素材を活かした味。
凝った味付けではない分、どんどん食べれてしまう…
だからといって、あれもこれもと食べてしまうと
結局食べ過ぎてしまうのでは…というジレンマとも格闘しつつ(笑)
ランチとかディナーとかの価格として数字だけ見てしまうと
ちょっと高いかも…とも思ってしまいそうだけど、
内容を考えたら大満足、ってトコですね。
all the KING’s men
はぃ、毎度の映画館通いのお時間です(笑)
今日の1本目は、オール・ザ・キングスメンです。
簡単に書いてしまうと、
ぽっと出の新人知事の活躍から暗殺まで、
なわけですが。
善は悪の中からも生まれ、悪は善の中にもあり、
まぁモノゴトそう単純に善悪分かれないよ、
っていうだけではないよなぁ、この話は。
やっぱり、どこかで権力の使い方道を踏み外してる。
それは、持ち慣れていないものを持ったコトによる暴走なのか、
それとも、世の中の権力とか財宝とか、
いわゆる欲やエゴに分類されるようなものの魔の側面なのか…
カイロ
鉄の酸化反応による発熱の話でもなく、
エジプトの話でもなく。
カイロプラクティックに行ってみました。
鍼灸と柔道整復、整体、カイロの間に
法的側面はともかく施術としてどれだけの差があるのか、
って話はとりあえずおいといて。
# カイロプラクティックは哲学や芸術も含むようです。
ダヴィンチ考。
上野へ…
東京国立博物館で開催中のレオナルド・ダ・ヴィンチ−天才の実像を観てきました。
ブラッド・ダイヤモンド
今日も続けてもう1本。
ブラッド・ダイヤモンドです。
黄金とか宝石とかに纏わる冒険譚は多々あれど、
そのほとんどは、オカルト的な呪いの話だろう。
所有者は非業の死を遂げ…みたいな。
しかし、この話は、
その価値ある物体そのものをめぐっての、
エゴとエゴの闘争から始まる。
盗品密輸品であっても、買うヤツが居る。
それが裏の資金源となって流れようとも、商売は止まらない。
完全に、当事者それぞれのエゴによって成り立つ世界。
幾多の血の上に、輝きを放つダイヤモンド。
誰かの欲を満たすために取引される、小さな石。
それはもはや、高貴な輝きなどではなく、卑しさの象徴だろう。
そんな卑しきエゴの先に見えたものは…
いや、それもまた人権団体という名のエゴで、
エゴとエゴの連鎖からまだ抜け出せていないのかもしれない。
あかね空
豆腐屋の物語。
って、頭文字Dじゃないです(コラ
あかね空。
人を妬んだり騙したり疑ったりせず、まっすぐに生き抜く。
知識と経験と伝統を頑なに守って、まっすぐに進み続ける。
確かに、大変なことに巻き込まれることもあるだろうが、
その澄んだ生き方は、人の心を動かし、悪を駆逐する。
もちろん、良い腕と良い教えがあってこそ、頑なに守る意味がある。
誰かを騙し傷つけ悲しませるような教えでは、かえって逆効果というものだろう。
あるいは、腕がついてこないで単に突っ走っているだけでも、やはり無意味だろう。
試行錯誤の段階で何かに固執して止まってしまうのではなく、
まず信念を持って進む段階に至り、そこからまっすぐ進んでこそ、
荒波にも負けずに進み、良いものを伝え広められるんだなと
そんなことを思いました。