コンテンツ力の低迷
最近ね、
いろんなコンテンツを、特に商用寄りのコンテンツを見る度に、
劣化二番煎じ三番煎じ感が否めない率が上がってきているなぁと
そんなことを思う、筆者です。
新ジャンルを開拓しようとしているコンテンツってのは
オーラがあるというかパワーがあるというか、
そのコンテンツ自身が放つ力が結構あると思うのです。
まぁ、その先駆者コンテンツをブラッシュアップしてドカンと大きくしよう!
っていう辺りまでは、まだイイ感じなんじゃないかとも思うんですけどね。
100円すらも出し渋る世の中
なんかねぇ…
不景気の原因って、こういうところにあるような気もするんだよねぇ…
っていう、そんなお話。
無料と寄付と定価制
最近、というほど直近の話ではなくて
もうその傾向が出てから何年も経つ話ではあるけれど。
「基本無料」が幅を利かせている世の中。
いや…数年前まではそれでもまだ
「節約」「安価」「激安」だったような気もするのだけれど。
○○離れ
よく「若者の○○離れ」なんて話が出てくる。
なんかもう、事ある毎に特定の事象を挙げていくのはやめて、
「悉く離れ」で良いんじゃないかと思ったりもする。
いつ入手できるかわからないから手元に置いておこう、
が高じて収集癖にも行きかねない世界から、
同じモノではなくてもそれっぽいものは何時でもあるから必要な時だけ使えりゃいい、
とばかりに手元に置くことから離れたレンタルの世界へ。
20年
とあるラジオ番組から流れてきた話が、20年前を題材にしていて。
1994年を生きる人が2014年を見たら、どんな風に見えるのかな?って話で。
それを聴きつつ、自分の20年前を思い起こしてみたり。
メロスは激怒した?
一般的には、
戻ったら処刑されることを承知の上で、罪もない友が代わりに処刑されることを避けようと
友情のために走ったことで、王に友情を説いた物語として語られていたりするけれど。
友セリヌンティウスを身代わりに差し出し村まで往復する話よりも前。
というか、書き出しからして「メロスは激怒した」のではなかったのか?
人手不足?人材不足?
労働人口が減ってるとか、景気は回復してるとか、
募集掛けても人員が集まらないとか、
そんなことが叫ばれているここ最近ですが。
あたらしい経済システムという思いつき
今の世の中は「資本主義」と称されている。
そろそろ歴史の枠に入るであろうソビエトは社会主義型の平等分配だったが、
あれは高評価でも低評価でも分配額が一定という仕組みが悪い方向に働いた結果
評価される行動を取らなくなって停滞方向に振り切ってしまったということだろう。
かと言って、では今の資本主義をよくよく考えてみると、
最も効率的に金銭を手元に蓄えることが出来るものに向かって取捨選択が進む、
というバイアスが掛かっていると感じる場面が多々ある。
そして、本来天秤にかけるべきではない同士までもが天秤にかけられ、
よくわからないまま淘汰されつつあるのではないか、と思うこともしばしば。
そんな中でふと思いついたことを、今日は綴ってみたい。