コンテンツ力の低迷
最近ね、
いろんなコンテンツを、特に商用寄りのコンテンツを見る度に、
劣化二番煎じ三番煎じ感が否めない率が上がってきているなぁと
そんなことを思う、筆者です。
新ジャンルを開拓しようとしているコンテンツってのは
オーラがあるというかパワーがあるというか、
そのコンテンツ自身が放つ力が結構あると思うのです。
まぁ、その先駆者コンテンツをブラッシュアップしてドカンと大きくしよう!
っていう辺りまでは、まだイイ感じなんじゃないかとも思うんですけどね。
問題はその先。
ある種のパターンが確立して、
そのパターンの中から手抜きできるところ、コストが削減できるところ、
などなどをどんどん抜いていって。
ましてや不景気の煽りで、予算がない。
自分の懐に入る分を削ってでもコストには出来るだけ影響を出さず…
なんてことはしない。
懐が痛まないように、まずコストから削る。
低コストでもハイパフォーマンスを出してくれるヒト、なんてのは幻想でしかなく、
必然的に、完成コンテンツは弱々しいものになってしまうわけで。
でもね、
内輪で評価していると、気付かないんですよ。
いや、はじめのうちは、
気付いたけど気付かないフリをして、まだ何とかなると強気で通す。
それが、いつのまにか、
内輪でしか通用しない方向へとガラパゴス化してしまう。
…別に、何に限った話でもなくて。
サブカルチャーだからメインストリーム受けしなくてもいいんだ!
っていう世界に閉じこもるんなら、それでもいいのかもしれないけれど。
筆者が一番それを感じるのはあれですよ、深夜アニメ。
まぁそれ以前に5色の戦隊モノとかもシリーズ間の見分けが付かなかったりするんですが、
ある意味一定のパターンで続く大長寿番組だと思えば、
戦隊モノの方はまだわからなくもないというか。
水戸黄門の前回の旅と今回の旅を比較したりというか見分けたりは、あんまりしないし。
でもね、
そういう「ある種括ることの出来るモノ」の範囲じゃないはずのモノなわけですよ、
原著者も異なりタイトルも異なり、唯一ジャンルのみが共通しているというモノは。
それが、ストーリー内のパワーバランスの黄金比で担当ポジションがあり、
1クール何回という尺の中で散りばめられる王道イベント群があり、
かと言って映画的な絶対的な背景差があるわけでもなく。
どうしたって、トレンディドラマ的に役者の好きずきカッコ良さとかで見てしまったり。
トレンディドラマならまだ「あーあの俳優がこんなシーンを…きゃー!」となった結果
そのシーンに紐づくアイテムを欲しくなったりがリアルなのですが、
有名声優のネームバリューで見ちゃったらそこに出てくるのは現実とかけ離れたアイテム群。
男子ウケしない女子コーデとか、
女子ウケしない男子嗜好とか、
そーゆーのも、ある意味では同じかもしれないなと思ったり。
反応の濃い特定のエリア内で受けるものを追及しすぎた結果、
その価値が内輪でしか評価されなくなってしまう。
そして、どんどんニッチ方向に濃縮されると…
それは究極的には、カスタムメイドにまで辿り着いてしまうのかもしれません。
マスメディアとサブカルチャーとニッチの世界と。
うーん、悩ましい。
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