がんばらなくて10できるひと がんばってようやく1のひと
なんだかんだ言っても結果が大事で、
その時に出すことのできた結果で評価が決まる。
うん、まぁ、そりゃそうだと思う。
評価側の目に触れるのって、基本的にはそこだけだから。
まぁもちろんそこには、現時点での絶対的な技量の差というものがあって。
経験値だったり累積練習量だったりあるいは先天的優位性だったり、
いろんな要素はあるけれど。
これがもし、
「がんばらなくて10できるひと」と「がんばって10になったひと」だったら、
「がんばって10になったひと」は「そこまでがんばらなくても10できそうなひと」になれるだろうし、
「がんばらなくて10できるひと」は「がんばったら15できるかもしれないひと」へと進むのだろうし。
でも、
「がんばってようやく1のひと」ってのは、何かが足りてない。
とは言え、圧倒的に足りてないのだとしたらおそらくはじめの1すらもできないわけで、
多分何らかの要素は持っているから、なんとか1にはなっているというか。
だったら、
先達は後輩にノウハウを教え、成長をサポートしたらいいのではないか…
はてさて、そこにいろんな「事情」が絡んでくるわけで。
能力の全体的な向上、出来る人が増えるというのは
集団の外側も含めた全体としてみればもちろんプラスになることなんだけど。
既に出来る人にとっては、今ある席を守りたい、いらん競争に巻き込まれたくない、
という保身の心理が出てくるパターンもあるわけですね。
能力的なことに限らず、利権とか既得権とかそういうものも絡んでくるわけですが。
まぁ、もったいないよね。
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