読み逃げ?
なんか、
「読み逃げ」が話題になってるみたいですが。
不特定多数向けに発信してるような媒体で、
反応を強要してどーするんだろう、と。
あるいは、お前は読みに来るな、とか、
アクセス禁止にしたりしてどーするんだろう、と。
そういえば、
筆者は「夏休みの宿題・読書感想文」が嫌いでした。
国語の授業とかテストに出てくる、
「この時の作者の気持ちを書け」も嫌いでした。
あー、後ろに担当さん座ってるよ。
タバコ吸い過ぎ。ケムいんだよなぁ…
腹減ったな。書き上げたら何食べようかな。
1週間くらいどっか旅行でも行こうかなー。のんびりしたいなー。
ってのじゃダメなんですかね、作者の気持ちって。(笑)
あれ?
元の話って何だっけ。
モノゴトの本質
何かについて、極めようとする。
どんどん、複雑さを増していき、それでもクリアしていく。
やがてそれは、一般人レベルからは遠く離れたextremeに到達する。
そして同時に、更なる複雑性のうえに快楽を求める自分、を見いだす。
ふと、本質を見つめる瞬間がある。
複雑性ではなく、単純なところをキッチリとこなすこと、
その延長上に見えてくる、真髄。
シンプルなそれの上にこそ、本質があるのではないか、
そんなことを、思う。
十を知った上での一、とでも言うのだろうか。
羯諦羯諦
ちょーど、坊さんが般若心経の写経の話をしていて、
サンスクリットのまま伝えられる、陀羅尼の部分、つまり
羯諦羯諦波羅羯諦…のところの意訳解説を耳にすることに。
まぁ、呪文の類と言えども、
何らかの意味のあるsound streamなわけですね。
アブラカダブラだって、ちちんぷいぷいだって、
何らかの意味のある語から派生しているわけで。
ひらけゴマは…passwordの類でしょうが。
慣れ親しんだ言語で、記された意味の意訳を理解することと、
言霊性の強い言語で、記述されたsound streamを詠唱することと。
ある意味、理論と実践、かな。
理論なしで実践だけでは、何やってるかわからないし、
実践なしで理論だけでは、実際上何の役にも立たないわけだし。
と、そんなことを思った筆者でした。
UU
だぶる・ゆー。
辻&加護ユニット、ですね。
筆者のiPodはまぁ何というか幅広くあれこれカバーしていて、
たまたまノンジャンル全件random再生をしてたら出てきました。
ふと、先日の、加護ちゃん2回目の喫煙騒動を思い出す。
そりゃ、ルールという観点から見れば、
未成年者喫煙という禁を犯した、と言うことになるわけですが。
でも、本人の行動と言うよりは、
周囲の、というか件の温泉逃避行のお相手の影響、
ってなところではないかなぁと、筆者は思うのです。
疲れを癒す相手役を演じ、悪役を買って出て、最後に、
今回の騒動は俺の不徳によるものだ。責任は全部持つ。亜依、おまえは芸能界に帰れ。
なんて、そんな話には…ならないよな(笑)
などと、たわごとを思いつつ、iPodから再生される曲を聴くのでした。
多才人
ある診断の結果。
天性の能力
とても多才です。開拓という宿命性なのでしょうか、
成功するための素質は、「ある一つ」を除いて、すべて与えられています。
興味を持ちやすい才能
とてもマルチな才能を持つ事ができます。
他人の長所を吸収し、自分の才能と合成することが可能だからです。
適職と表面的な能力
かなり多才です。
正確には、多種のリアルな才能を持っている訳ではないのですが、
天性の適応力と、チャンスを見抜いて、生かす能力にずば抜けているため、
才能の有無など無関係に成果を出せてしまうのです。
普通なら、各項目で違うことを言われるんだと思うのですが、
なぜか全部「多才」…
そんなにマルチタレントですか(汗)
なんとなくNightCruise
ちょいと出掛けて、そのまま直で帰る…のではなく
ふらふらとNightCruiseへ。
以前の日記でも、Night Cruiseとかone day Cruiseなんてのがありましたが、
何かこう考え事とかがあると、アテもなく流しに行くのです。
高速道を50mphくらいで流しながら、その感覚に身を委ねる…
移動感も重力感もなくなり、水銀灯や他車の燈火だけが流れ飛んで行く。
日常の喧騒から離れた世界へのいざない。
座禅による無我の状態とかとも、通ずるものがあるのかもしれないですね。
罪を憎んで
最近、あちこちで目に付く1コマ…
誰か、ないし何かについて、その存在自体を全否定するような接し方。
別に、筆者に絡んだ話だけではなく。
誰かが、別の誰かに対してそういう接し方をしているのをハタで見かけただけでも、
何やってるんだよまったく…と思うのです。
・坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
・罪を憎んで人を憎まず
筆者的には、後者の考え方のほうが好きですね。
たまに「袈裟が憎けりゃ坊主も憎い」になってる人も居たりして、
世の中イロイロだなぁと思う今日この頃なわけですが。
モーツァルト
最近、
ドライブBGMにClassicを聴いてたりします。
先日なんとなくMozartの10枚組CD-BOXを入手して、
iPodに転送して流し聴いてたんですが、
ふと頭を過ぎったのが、Mozartの明るさの話。
確かに、Mozartの音楽は優美繊細なロココ調で、明るい長調音楽が多い。
当時の歴史背景を考えれば、趣味的作曲家ではなく職業作曲家としての彼は
世間のニーズに合わせた明るい音楽を書き続けていたのでしょう。
しかし…10枚の半分過ぎまで来て、をや?と思ったことが。
そう。40番、有名なGm調の曲。
優美繊細な中に悲壮感や哀愁が漂うそれを聴いていると、
負の感情に属するようなものまでも昇華して魅せる彼の技術が見えてくるようです。
筆者が以前書き残した一節。
蓋をするのではなく、昇華による成長。
かりそめの白を見せるだけでなく、浄化と昇華を魅せる技術に、
あたらめて想いを馳せました。
雪
東名、足柄~御殿場とかのあたり…
おもいっきり雪です(汗)
桜も咲こうかというこの時期に
こんなに雪が降ろうとは…
異常気象がどーのこーのといろいろ聞くご時世ですが、
四季の移ろいも、だいぶおかしくなってきてますね。
6割
さて、さっきのエントリで書いたホリエモン判決ですが、
求刑4年に対して判決が2年6月、ってところに着目をしたいな、と。
これを、62.5:37.5と見た場合。
検察側の言い分が通ったのが6割。
なんとか過半数キープはしたものの、五分五分に近いというか。
検察側の主張の通らなかった、そして被告側の主張が通った4割弱の中に含まれる真実とは何か…
これを、160:100と見た場合。
検察側が粉飾した罪状が6割。
100だけを起訴追求してたのなら何も言うことはないですが、
ここに乗せられた分って、いわば国策的な立場からした粉飾起訴なんじゃないかと。
もちろん、2年6月と下された分の罪については
ホリエモンがそれだけのことをやったんだろうな、と見てるわけですが、
その向こう側に、検察側の暗躍もまた見え隠れするわけで。
追求する側、される側、
永田町関係のナントカ疑惑もそうですが、
どこを切っても似たり寄ったり的な感じってどうなのかなー…