エンデの遺言
とある友人から
。。。苦手で泣きそう。。。。 orz
と泣き付かれて、とりあえずWeb版をサクッと読んでみました。
たとえばパン屋でパンを買う購入代金としてのお金と
株式取引所で扱われる資本としてのお金は
2つの全く異なった種類のお金であるという認識です
というような、経済学系のお話ですね。
で。
要するに、
・日々の糧に関する物々交換
・労働対価等のサービスの交換
といった小サイクルと、
・投資
・財産資産
といった大サイクルとが、
きちんと棲み分けずに混在してしまっているところに、
現代の貨幣経済の落とし穴があるのではないか、ってコトですね。
普通レベルの衣食住に、+αとしての手持ちを
着飾るか、美食をするか、豪邸に住むか、というのならともかく、
衣食住すら最低限まで切りつめて得たお金を資本として投資してしまうとか、
事業を運転して得たお金で豪遊したりとか、
そこに2種のサイクルをまたがる流れが生じていることで
ひずみが生じてくるんだろうな、と。
この2種のサイクルがそれぞれに回っていれば、
例えば漁村と農村で共に魚も野菜も食べれるとか、
ある種予定調和的なバランス取りが為されるわけですが。
これが等価交換ではなく、仲介所が上納を要求するようになって、
その上納量が「得意分野効果」以上になってしまうと
漁村農村は搾取されて萎んでいってしまうわけです。
そして、搾取され萎んだ分は、どこに行くのか。
仲介所の賃金程度であれば、サービス対価として懐に入ったとしても
それがまた漁村農村に還元されるので、まだバランスは保たれるでしょう。
問題は、それが別の投資に回され、flowからstockになった場合。
バランスは保たれず、日々の糧が投資財産に変換されていってしまうことになります。
さらにその先、投資がマネーゲーム化して、
数字のやり取りだけで莫大な金額が出たり入ったり。
打ち出の小槌で遊んでいる側が浪費しているお金は、
世界のどこかから消え去ったお金。
いずれ底辺が崩壊し、全体が崩れ去る、まさに砂上の楼閣。
…いや、いずれどころか、何度も崩壊してる気もするけど、
懲りないなぁ、人間も。
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