奥様はネットワーカ
はぃ、
通勤時に読んでいた小説です。
ミステリーものですね。
推理小説…として見てしまうと不完全ですが。
途中で、数ページだけで犯人が特定できちゃったりするし。
というツッコミはともかくとして。
思考が淵に堕ちていく感じとか、
パッと見に奇抜に見える行動を取るヒトの描写とかは
結構良く描かれてますね。
達観視的なところで語られるメッセージが、良く出来てるなーと。
カレカノ
久しぶりに、コミック棚からひとつかみ。
「彼氏彼女の事情」をイッキ読み。
半分くらいまでは読んだ記憶があるけど、
それ以降は買うだけ買って読んでなかったなと(汗)
で、
その読んでなかった辺りで語られている、
人の心の闇の部分や、それにまつわる葛藤。
その闇と葛藤を封じて表面的に明るく過ごすか、
闇の存在を認め、闇を昇華して、内面をも明るく照らして過ごすか。
大きな課題ですね。
afterdark
だいぶ前に、名前だけ耳にしていた小説。
半月ほど前に買ってきていて、ようやく読んだ。
読み始めて、
デフォルメされたリアルにちょっと嘔吐感を覚える…
小説に対してではなくて、現実に対する嫌悪感。
全てが勝手別々に動いていて、関心を持たれたくないと思う人たちの世界。
あるいは関心を持っても、手を差し延べることの出来ない世界。
そして、ときに垣間見える、闇の深淵。
これが現実なのだろうか…
あるいは、これは警鐘なのだろうか…
後者であって欲しいと思うと共に、
世界が既に前者になっているのではという焦燥感が、
頭の中を駆けめぐった。
おいしいコーヒーの入れ方
文庫版で8巻まで読んで…
まだ文庫になってない新書版であと2冊、10巻まで。
はじめのうちは、ほわーって感じで読んでたこのシリーズ。
途中から、いろいろと葛藤が出てくるというか、
読んでて自分と重なる箇所に「うぉっ」「ぐぇっ」なんて言いながら。
今まであまり、恋愛という観点から人間関係を見たことがなかったので、
結構イイ成長になったかなー、なんて思います。
音楽の正体
昨日、敬愛なるベートーヴェンを観て、
ふと、久しぶりに読みたくなった本を、書棚から。
書籍版よりも、もしかするとTV番組のほうを御存知の方も居るかもしれません。
1993年の冬くらいに、フジテレビの深夜に放送されていた番組、音楽の正体。
音楽という魔法の理論を解説した、番組と書物。
といったところでしょうか。
バリエーション、禁忌進行、副5度、転調、過転調…
そして、無調へ。
それはまるで、中毒と、奈落への転落。
「敬愛なるベートーヴェン」で、第九の後に語られていた
大フーガや、病床から口述していた無調無楽章の音楽。
後の世で評価され…と世間は言うけれど、
果たしてそれは、何を基準とした評価なのでしょう。
中毒世界での評価なのでしょうか…
ズッコケ中年三人組 age41
「ズッコケ三人組」シリーズ。
小学校くらいの頃、よく読んだなぁと
なつかしく思ったのですが、
1978~2004まで、実に50冊も出ていたのですね。
そんなシリーズの続編、というか、
大人になってからの話、「ズッコケ中年三人組」。
なんか、妙な占い師が登場したり、頼られたり、失踪したり、
ごく最近どっかで体験したような話に通じる何かが
いろいろ鏤められて居るなぁと、妙な気分になってみたり(ぇ
まぁ、何ですかね、
違うようでいて同じようなところもあり、
同じようでいてやっぱり少しずつ違うのが
人生ってことですかね(謎
Fが通過します
本、のようです(ぇ
なんか、とても縦に長いのですが。
雑誌の欄外とかの、細長いスペースを活用したコンテンツですね。
秀逸な小ネタに爆笑しつつ、
これを1ページに何本も横並びにするよりも
こういう形に編纂したことで、より強い印象と笑いを勝ち得ているなぁと
妙に感心してしまいました。
大江健三郎
かれこれ半月ほど前に買った、
大江健三郎の小説数冊。
初めて開いた時、
軽い違和感というか嘔吐感のようなものを感じたのだが、
読み始めると、
立て板に水がごとく、たたーっと読んでしまう。
移入しているわけでもないのだが、
気付くと一駅過ぎてしまっていたりする。
はたと、
その理由に気付いた。
結末に、
他の小説にありがちな救いもオチもないのだ。
苦悩が淡々と進んで、
そのまま話は淡々と駆け抜けていってしまう。
しかし、
その淡々と進むが故に、
読み手としては引き込まれていってしまっている。
なんとなく感じ取った結末の恐怖、という、
移入までは板1枚の隔たりを残して。
笑ゥせぇるすまんの喪黒福造のように、
ドーン!!と強い下降があれば、切り離して帰っても来れるのだが…
そのまま、ふと気付くと物語は終わっていて、
現実の日常である。
怖い世界を体験した…
珍説 旧約聖書
前回、旧約聖書の話を書いた時は、
神から何らかの力の行使…神罰とか救済とかを受ける側の、
人サイドの話をしてみたわけですが。
それはそれで、教訓というのは多数読み取れるかと思います。
なんか、読んでたら、神サイドの行動というか、
そんなものを、なんとなーく感じた気がして。
絶対神、というよりは、何かずいぶん人間的だなぁ、と。
力がある分、ガキ大将的とでも言うんでしょうかね。
俺が神だ、俺の言うことを聞け、みたいな。
たまに、いやーやりすぎた、とか反省したりして。
でももしそれが、客観的意見の代表だとしたら。
神の目に正しいと映る行為…客観的に見て、誤解もなく正しい行為。
まぁ、随分と横暴な神様だなぁ、なんて気もしますが…
なんて言ってたら怒られそうですね(汗)
筆者、前にも書いた通り、多神教無宗派的ですので、
特定の信仰のある方とは考えを異にするかとは思いますが、
絶対神とするか、いろんな媒体に宿る神とするかはともかく、
超客観的なところにある力、ってのは一緒かなぁ、と思います。
これが人の主観となると、他人を客観的に見ようとしても
「見えてない部分」に翻弄されたりなんかして、ね。