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Thu, 28 Dec 2006 00:12:34
死刑と殉教
イラクのサダム・フセインが死刑になると言うことですが、
「神が望むなら、私は真の殉教者に列せられることになろう」とか
キッパリ言われちゃうと、何が神聖で何が悪なのやら、って感じですね。
神の声とか、内なる声とか、ハイヤーセルフとか、宇宙の真理とか、
宗教懸ったような話を最近よく聞きますが、
なんかほとんど、自己正当化のために使われてるなぁと。
そして、その対偶である、他者否定が、もっと怖い。
それでも地球は回っている。
他者否定世論の犠牲となったコペルニクス。
繰り返したくないものです、こういうのは。
yanmaっちの言葉で表すととーっても難しいんですが
私もきっと同じ気持ちだと思います。
特にここが
>神の声とか、内なる声とか、ハイヤーセルフとか、宇宙の真理とか、
宗教懸ったような話を最近よく聞きますが、
なんかほとんど、自己正当化のために使われてるなぁと。
そして、その対偶である、他者否定が、もっと怖い。
同感です。
なんとなくタイミングよくまわってるからこれでイイ〜、とか言って
結局周りが見えなくなって迷惑かけまくるヒトも居たりとか、
まぁ、何というか、
わがままを正当化するために神様使っちゃダメだよね、と。