お祭り騒ぎ
お祭り。
日常ではない、特別な日。
ハレとケの関係で言う「ハレ」。
そこには、日常にはない興奮がある。
箍の外れた宴がある。
しかし、こと現代に於いては、
ケを共有していないにも拘わらず、ハレだけをつまみ食いする現象もある。
まぁもっとも、対外的に公演するような部分に関して言えば、
ハレだからこそ来てくれるお客様をおもてなしする、ってのは良いと思うし、
むしろ現代的なお祭りというのはそっちに軸足を置いているのだと思うのだけれど。
もうちょっとこう、仲間内の打ち上げ感とでも言いますか、
生活共同体としての村レベルのマイルストーンとでも言いますか、
そういう視点に立った時ってのは、羽目の外し方というのが根本的に異なるわけで。
お互いを知っていて、これまでもこれからも何かを共有していて、
だからこそタブーの境界線が日常とは異なる日、ハレ。
豊穣の奇祭といった類も、そういうベースだからこそ成立するんだろうなと
筆者は思うわけです。
それをね、
ベースが共有されていない、隣は何をする人ぞの都会で成立できるわけがない。
節度を守らない変態が居る!って話にしかならないわけです。
あきらかに変態集団なんてのも居る世の中ですし。
先日のサッカーのときに渋谷の交差点で痴漢が云々、とか。
箍を外した共同興奮状態という共有がありえない都会では、
上にも書いている通り成立せず、ただの変態でしかないわけです。
その辺のバランスの落としどころが心に持てていない人が、
関係の相対性を無視して「安全圏から一方的に行動してるつもり」だったりするのかな、と。
そんなことを思った、最近の筆者でした。
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