あかるい農村ふたたび
さてさて…前の記事に若干関連があるような話。
生産力の進化と文化的発展、とでも言いましょうかね。
古代。
生活時間の全てを掛けて狩猟や採集をし、その日の自分の食糧を確保していた。
少し発展して。
生活時間の6割で農業を営んで食糧を確保し、4割で生活用品を作って暮らした。
更に発展をして。
道具の発達により農業従事は生活時間の2割で済むようになり、
だが生活時間の3割は道具作りに使わなければならなくなった。
相変わらず4割は生活用品作りに当て…
残った1割で「遊び、楽しむ」という感情が生まれた。
産業の飛躍的発展を経て。
1人が2割の生活時間で確保できる食糧は1人分から100人分に増大し、
そのための道具は10人が4割の生活時間を使うことで得られるようになった。
1人が4割の生活時間で生産できる生活用品は1人分から100人分に増大し、
そのための道具は10人が4割の生活時間を使うことで得られるようになった。
つまり、食糧確保に1人、生活用品生産に2人、道具づくりに計30人居たら、
4割の生活時間で200人分の食糧と昔ながらの生活用品が揃う時代へと発展した。
つまり、残りの167人は、新しい道具だったり娯楽コンテンツだったりといった
さまざまな新しいモノを生み出す仕事に従事できるし、
それでも生活時間の6割を「遊び、楽しむ」ことに振り分けられるのである。
ここでもし、遊びに全生活時間を振ってしまうようでは、
働く者達は遊び人に対して不平不満が募る上に、生活様式は古代のままである。
やはり、そこに便利な新しい道具の登場や、楽しいコンテンツの充実があってこそ
現代あるいは近未来という世界であろう。
もちろんこれは適当な数字を当てた架空世界の話ですが、
だいたいこんな感じで「分業の発展」が行われてきたことで、
現代のような多様な職種が協調して社会が成り立っていることでしょう。
あー、それと、但し書きのようなものを1つ。
2人で50時間かかる仕事に100人突っ込んだら1時間で終わるのか?という
いわゆる人月計算の誤用のような極端な話ではなく、
10人で10日かかるものを5人でやらなきゃならないとしたら20日だよね、くらいの
現実的な幅の中での計算を想定してくださいね。
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