農村と漁村の話
何て言うんだろうな、
こと高度成長以後の世界が忘れてること、ってのが
現代経済に対して深刻なひび割れを起こしてるような気がするのですよ。
金融システムを無くしては現代経済は語れない、
とかそういうレベルでは無くてね、
生産効率と分担に関する辺りのあれこれ、とでも言いましょうか。
畑で野菜を生産して自給自足をしている農村と、
海で魚を捕って自給自足をしている漁村があったとします。
とりあえず、建築とか衣料とか、他の分野の話は置いといて、食糧の話。
お互い、生産量的には充足しているので、
特に交易などをせずとも食べるのには困ることはない状態、
という設定にしておきましょう。
この状態で農村の人と漁村の人が出逢って、
お互いに生産量の3割ずつでも交換し合って食のレパートリーを増やしたほうが
新しいモノに触れることが出来て楽しいかも!?
ってのが、文化的豊かさの発展かな、と。
ここで、農村の民と漁村の民の恋路も盛んになり、
結婚して相手の村へ移り住む若者も登場し始めました。
しかし、移住した若者の生産性は、50%しか無かったのです…
ということも起こるのでした。
移住した若者は、専門的な能力差の壁に立ち向かっていったことでしょう。
河で魚釣りをするのが趣味という農民も居るかもしれないけれど、
やはり全てをひとりでカバーしようと動くよりも、
分担したほうがトータルの生産効率は良くなるわけですね。
ところで、それ以外にサラリーマン市というのがあって、
ここはどうやら野菜や魚を購入したがっているようです。
さぁ、農村も漁村も、なんとかして増産をしなければなりません。
彼らは平均的に何でもそつなくこなす能力があるという触れ込みなので
農村も漁村も彼らを雇って増産に励むことにしました。
しかし、彼らの能力は、
農村に入ったら農民に比べて70%。漁村に入ったら漁民に比べて70%。
先の農村に移住した漁民の50%よりは確かにどこにでも適応出来るようですが、
彼らは指示をこなすのが精々で、経験から新技術を発案するには至りませんでした。
村の古参達は、使えねぇ若者だなぁ…と嘆きます。
でも、サラリーマン市の人々は、何でも出来るから雇ってくれ!と言う上に、
郷に入りて郷に従うわけでもなく、指示に従って活動をするだけでした。
やがて世代交代。
農村に行っても漁村に行っても、サラリーマン市出身の人々で溢れ…
それはそれで、それっぽいものは生産されているようだけれど。
更に世代交代をして。
一部が欠損した古文書に従って生産活動をする彼らが作っているモノは、
先人の工夫をどれほど受け継いでいるのでしょう…
…っていうのはあくまで架空のお話ですけどね、
でも、頭数あわせの人事とか、マニュアルさえあれば代打が利くバイト体制とか、
そういう方向の行き着く先は、このお話の結末のような世界になる気がします。
それと、向き不向きを簡単に判断して諦めて別の道へ、とかじゃなくて、
腰を据えてみっちり基礎をやって、その上で基礎の型を破った応用に手を出すとか。
先の農村に移住した漁民だって、農業わかんな〜い、とか言わないで
真剣に農民になろうと努力をして、農村出身者よりも良い腕になったことでしょう。
そういうのって、社会の仕組みがこうだから仕方がないとかじゃなくて、
個々人のスタンスの影響のほうが大きいよなぁ…
などと思う筆者でした。
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