世界を切り取る道具を持つ者として
3.11東日本大震災。
その「被災地」と呼ばれるエリアに、行ってきた。
ひとくちに被災地と言っても、
その被害の種類、程度、さまざまである。
地震、津波、放射性物質汚染。
補修工事が進んでいる地域もあれば、
まだ瓦礫の片付けさえ済んでいない地域もある。
まず、仙台市内に寄ってみた。
昔、仕事の都合で長期滞在したこともある土地。
多少なりとも、生活視点で見たこともある地域である。
ほぼ見慣れた光景だったが、やはり揺れの影響は大きいのだろう。
どことなく、少しずつではあるが歪んだような印象を受ける。
ひびの入った建物の補修工事だろうか、
いたるところに、幕の掛けられたビルがある。
しかし、さすがは地震大国として鍛えられてきた国、日本。
完全とは言えないまでも、ほぼ平常通りの街の姿があった。
すこし、郊外へ出てみた。
揺れの大きかったであろう、東へ。
一見すると、中心市街同様に、何事もなかったかのようにも見える。
しかし近づいてみると、まだ補修に手を付けることが出来ないのだろうか、
応急処置だけを施した休業店舗も多い。
そんな中でも、大型店舗の一部など補修完了した売り場は順次開業しており、
大変な環境ながらもしっかり生活していこうというパワーが、強く感じられた。
少しずつでも前進して、次の何かが復旧することを心待ちにして、
そんな、人の心の強さが感じられた。
ここまで見て、
あぁこの国は地震程度では負けない、大丈夫だ、
物流もしっかり回復し、平時通りとはいかないまでも客人を迎え入れる余裕もある、
気を遣って云々ではなく、むしろ平時通りに接することで復興に進んでいける、
そう感じて、一安心した。
ところが。
そんなレベルで、この大震災をわかった気になってちゃいけない。
あらかじめ言っておくが、
現地に行って体験しないととか言って、闇雲に現地に向かうことはお薦めしない。
銃弾が飛び交う地の様子を伝える危険を冒すのは、戦場カメラマンだけでいい。
その代わり、遠くで起こったことではなく、現実に起きたことだと、心に刻んで欲しい。
私自身、ここにはカメラをぶら下げて、何度か行ったことがある。
別荘か民宿か、そういった建物が建ち並んでいた記憶もある。
近隣の景観も、とても美しかった地域だ。
だが…ほぼ、更地になっていた。
ただ、瓦礫の山を残して。
瓦礫を片付ける数機の重機が作業をしていたが、
とても追いついていない様子だった。
片付けるだけならゼネコン的造成で済んでしまうのかもしれないが、
とてもとても、そういった状況ではない。
その地に存在していたモノの重みが違う。
…私は別に、この事実に対して、
殊更に震災に対する恐怖感や悲壮感を煽ろうという気は無いし、
ボランティア協力や寄付金協力を推進しようという立場でもない。
敢えて言うなら、事実は事実として心に刻むことで、
「自分なりの判断というもの」の足しになるのではないか、
そう思い、この記事を公開することにした。
実際、一度目は通過する車窓から眺めることしかできず、
走り抜けた後に「あぁ、やっぱり伝えよう!」と思い直してカメラを手にし、
撮影してきた後もまた、掲載するかどうか悩んだ。
それでも、世界を切り取る道具を持つ者として、
伝えよう、とにかく伝えよう、と思うに至った。
ここまで読まれた方は、おそらく心の準備も出来たことと思うので、
これからここに、何枚かの写真を添付したい。
いつもの当Blogではサムネイル程度の写真しか掲載していないが、
今回はそこそこのサイズをもってお届けしたいと思う。
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