言葉狩りの連鎖
いろんな単語や言い回しが「不適切」として忌避される昨今。
何と言いますか、とても表面的でしかなくて、
本質的なところに全く行き着かないんじゃないかなと思う筆者です。
「◎◎という語は××の人たちに△△と感じさせてしまうので」
という「それっぽい理由」が掲げられたりもするのですが、
1段階掘り下げてみると
「△△ということを直接表現する代わりに◎◎という語に置き換えた」
という経緯があったりするわけですね。
つまり、
「直接表現するのは憚られるけれどもそれを表現しようとした」
結果として巻き添えを食らったのが◎◎で、
「かつ今でも△△が忌避対称として存在し続けている」
ことになるでしょう。
それなのに、忌避していることすら無いかのように振る舞う、
配慮しつつ関わるのではなく、触れないようにやり過ごす方向こそが
根っこなのではないかと、筆者は思います。
これはもう、
ローカルコミュニティルールでは忌避してきた△△は
実は忌避すべきものではなかったので今後受け入れる、とするか、
あるいは、今後も忌避対象にしていくという事実認識を受け入れた上で
△△について表現すること自体をR-18とかそういう一定の条件下で
容認していくというか、例えばフィクション作中に忌避対象として描くとか、
何かそういう方向を向いていく必要があるのではないかなと。
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