公開情報のスタンス
TwitterにFacebook。
もちろん他にもいろいろあるけれど。
ここのように、blogという形態もありますし。
そういうところで、どこまで情報を公開するか。
どこからが「保護すべき個人情報」なのか。
今日はそんな話を綴ってみようと思います。
…と、その前に。
あなたはどこまで「不特定多数の中の誰か」で居たいですか?
筆者は、これが一番のカギなのではないかと思っています。
堂々と胸を張って「わたしがやりました」と言えることであれば、
それは自分という特定個人がやったこととして発表すればいい。
でも、「わざわざ発表するようなことではないもの」もあります。
むしろ「隠しておきたいと感じるもの」だってあります。
そういうものは、発表せずに仕舞って置いたらいい。
でね、
家から1歩出れば、往来に誰かしら居るわけですよ。
それがどこの誰かまでは相手は知らなくても、
「あーさっき髭の兄ちゃんがアイス喰いながら歩いて行ったよー」
くらいの情報はそこに発生しているわけです。
それをスマホのカメラで自撮りしてツイートすれば、
そのツイートしたニックネームの人の行動として、
目の前にいなくてもツイッターの向こう側の人でも認識可能になります。
それでもまだ、@ほにゃらら、というIDの人の行動でしかなくて、
そのツイートをした人がリアルの誰であるかは構わないわけです。
そういう情報から、一方的に特定して近づく。
あくまで、近づく側の勝手な行動論理。
電話帳を見て片っ端からテレアポを掛けるなんてのも、
Webをクロールして見つけたメールアドレスに片っ端から迷惑メールを流すなんてのも、
みんな、一方的で身勝手な行動論理なわけです。
さてさて、
怪しげな悪意を持って近づいてくる人は蹴飛ばすしかないわけですが、
興味を共有して新しい輪を拡げたいことだってあるわけで。
そういう繋がりを求めた場合、自分が不特定多数に埋もれていては意味がないわけですね。
私と繋がりましょう、私と一緒に何かをしましょう、ですから、
これは「わたしがやりました」といって発信することになります。
まぁ、中には何か間違えたのか、
バカなことをしている自慢、いわゆる「バカッター」もあったりしますけどね。
そっち方面のクラスタを形成したいのでしょうから好きにすれば?とも思いますけど、
それを「よくないこと」と咎めに来る人たちも少なからず居ますよ、と。
もっとも、良いことを発信していても、
「僻み」「妬み」などをもって突撃してくる輩も居ますけどね。
それはまぁ、蹴飛ばす仕組みを強化して対応するしかないんですが。
コメントを残す