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Wed, 25 Jun 2014 20:07:29
正解の功罪
疑いようのない真理レベルの正解、
それが正しいと信じられている正解、
とりあえずの最適解、
誰かが定義したという根拠しかないもの、
好みで選択したに過ぎないもの。
さまざまなパターンはあるけれど、
それが定められている場合もあれば定められていない場合もあるし、
択一のこともあれば自由選択の場合もある。
でもちょいと、
正解を定めようとしすぎじゃありませんか?
そしてその正解とされたものに乗っかりすぎじゃありませんか?
多種多様に雑多なものが存在する世の中。
想定外の突拍子もないことに遭遇する世の中。
そんな中で、杓子定規な正解が果たしてどれほど役立つというのでしょう。
確かに、予測可能な世界を求め進歩してきた科学技術というのは
リスク低減の効果を発揮して今の世の中を作ってきたとも言えます。
しかし、それは同時に、
その正解がなぜ正解なのかを確かめようともせず、
正解があるならそれを適用しておけばいいんでしょ、
という思考停止をも生み出してしまった感があります。
もし、誰かが私利私欲のために定義した「正解」だとしたら?
あるいは、とりあえずこれにしておこう、とされたままのものだったとしたら?
…知らず知らずのうちに、何かに誘導されている、かもしれませんよ。
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