拡散したり割り込んだり
Internet上の情報の流れをあれこれ見ていて、筆者がふと思ったこと。
「拡散希望」とか「シェアしてね」とかの文言が付いているメッセージとか、
何か作業をしているとその途中でクリックさせて別のトコロに誘導しようとするバナーとか、
そういうものを見かける度に「なんだかなぁ…」と思うのです。
「拡散希望」って付いてる文章、というのは、
それを見たヒトは「あ、拡散して欲しいって明示されてる文章なんだな」と認識して、
その入力情報を動機として拡散行動をした結果、誰かの目に入る。
対して、「拡散希望」って付いてないけど拡散されて誰かの目に入る文章ってのは、
はじめに見たヒトが「あっこれは他のヒトにも教えたら面白いな」と感じて、
その感性を動機として拡散行動をした結果、拡がっていく。
要するに、目に入った文章を見た時にそこに「拡散希望」って付いているか否かで、
その情報が自分のトコロまで回ってくることになった熱量が推し量れる、と。
もう1つ挙げた、途中でどこかに誘導しようとするバナー。
どう考えたって、いまやってる操作というか一連の作業を一時中断させての誘導。
酷いのになると、元の操作への復帰パス自体がまったく無かったりとか。
常に視界の端っこに居るタイプの広告、ってのは良いんですよ。
1つの広告で街中を飽和させることで常に目に付く効果を期待する、ってのと同じで。
まぁ「どこ行っても同じ広告かよ!」っていうウザさはあるにしても、
中断系の邪魔をされる悪いウザさとは異なる、良い意味でのウザさとでも言うのかな。
とにかくまぁ何というかそういう押しつけがましい情報拡散戦略って、
なんか広告としても営業としても、ニッチと言うよりは中途半端に損をしてるというか、
伝わるはずのものが逆にどこかで損をして伝え損ねているというか、
もーちょっと何とかならないものか?って思ってしまう筆者なのでした。
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