ガンバレの功罪
万能な応援の言葉であるかのように「ガンバレ」を連呼する人が居る。
一方で、鬱界隈などを中心に「ガンバレ」を避けるべきと言う人が居る。
お互いそれぞれの立場から、相手方の立場の見えていない部分はなんだろうと、
そんなことをふと、考えてみました。
片っ端から解いていかなければいけない山積み100問とか、
これから千里の道を移動しなければならないとか、
そういう「やるべきことが明確なものに対峙をしている状態」であれば
「ガンバレ」で良いと、筆者は思います。
対して、一仕事やり切って、次は何に着手をしようか迷っているとか、
思いつくことは全部試してみたけども結果が出ず、次の策を悩んでいるとか、
供給と評価のように、努力と結果が直接的にリンクしていないとか、
そういう「選択肢がゼロまたは無限の状態に対峙をしている状態」の時は
「ガンバレ」はそぐわないのだろうと、筆者は思うのです。
では「ガンバレ」向きではないところには何を勧めたら良いのでしょう…
筆者が思うに、それは「思った通りに思いっきりやってみよ」ではないかな、と。
一つ方向を決めて、その結果がどうなるかは問わずとにかく進んでみて、
その進んでいる方向に対しては「ガンバレ」が通用するのかな、と。
ただ、応援する側は、進んでいることを応援するのであって、
急ぎ結果を求める方向に行ってしまっては元も子もないのだろうとは思いますが。
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