自分流
普段からの不断の努力が、成果に表れる。
…まぁ、ある意味ではYesかもしれない。
所作の正確さや美しさは、
日々における繰り返しによる馴れだったり、
より綺麗に見せるにはという不断の探究の成果だったりするだろう。
しかし、それを提供するとか公演するとか審査されるとか、
そういう「状況」がプラスされた時に、どうなるか。
緊張した、普段のようなパフォーマンスを発揮しきれなかった、
なんてことも、よくある話。
それはなぜか?
自分の思っている「たぶん、できていると思うけど」というシーケンスが、
外からの評価としてどのくらいのものなのか?という指標が欠けていたりする。
この程度のものを公開して、有料ですと言って金を取っても良いものだろうか?
この程度の技能で、審査合格として免状持ちですと名乗って良いものだろうか?
まぁ、趣味的に付くって自分で納得してる分には良いのだけれど。
そういう不安感が拭い去れない限り、
いざ本番!となった時に、パフォーマンスの低下は避けられないのではないかと、
筆者は思ったりします。
そして、そうやって足掻きながらも一定ラインまで成長し、
師匠からひとつめのお墨付きを戴いて、
自分で自由に研究したいものに進んでみなさい、というところに到達してようやく、
「自分流としてはコレ!」というパフォーマンスが堂々と表に出せる、
ここからが本当のスタートなのではないかな、と
最近筆者は、そんなことを考えたりします。
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