働かざる者
働かざる者、喰うべからず。
まぁ昔から言われている言葉であるが、
最近この言葉の意味するところが少しずつズレているような気がする。
あるタクシーの後部窓に、乗務員募集と書かれていた。
それだけなら、よくある光景である。
だが、その脇に、こう書かれていた。
「洗車作業はありません」
…趣味的にクルマを転がしていたい人を募集したいのだろうか?
あるいは丁稚的に車を洗うことを嫌う人が増えているのだろうか?
本人が自分の車を磨くのが楽しいかどうか、ってのはひとまず置いといて、
2種免を取得するまでの期間とか、不慮の免停で乗務できない期間とか、
そういう部分の救済的な「仕事の供給」という側面も、
タクシー会社における洗車作業にはあるような気がする。
もっとも…タクシー屋が仲間に洗車作業を振る話は実体験ではなく、
どこぞで耳にした話でしかないのだけれども、
お前もこういう仕事だったら貢献できるだろう、といって巻き込んでいくことに、
分担作業、共同体としてのバランスというものがあるのではないだろうか。
採用面接にしたって、
現状、こういう人材が不足している、というかこういう仕事が過剰で人手不足だ、
というところがハッキリしていれば、その作業にどの程度役立つかで判断できる。
だが、期待値の高い汎用的な若者が欲しい、などといって採用しつつ、
その実、どんな作業に割り振ったらいいかで悩んだりしていては、
何のために手間を掛けて面接をして採用したのか、よくわからないことになる。
お前、働かなくて良いから、喰わずにそこらで野垂れてろ、
そう言わんばかりの社会って、どうなんだろう。
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