最悪のシナリオ?
最悪の場合はこうなる、という話がある。
それに対してあれとこれを備えてください、なんて話になる。
備えようとして特定の行動に人が殺到し、パニックになる。
こんなことで良いのだろうか?
「原発に於ける」と前置をすれば、
炉が吹っ飛んで周辺を放射能汚染してしまう、というのが
震災後だからというのではなく、常に考えておくべきシナリオである。
そして、そうならないような安全装置を可能な限り多重に備えておく、というのが
求められるべき対応、ということになる。
「被災地救済に於ける」という前置ならば、
救助を待っている人達すべてに洩れなく救助を差し伸べるためには、というのが
おそらく最も必要なことだろう。
(ここには、家族や親しい友人を、というような加重評価は含まないことにする。)
しかし、「個々人の生活に於いて」と前置をするのであれば、
話は少々異なってくるのではないだろうか。
ある危機に対して、その道のプロによる対処がもし万が一行き届かなかった場合、
最終的に自分周辺の安全を確保するには何を考えておく必要があるのか。
ひとつは、情報統制が行われている対象に対して警戒すること。
もうひとつは、パニック群衆による人災の発生に警戒すること。
そして、前のエントリにも書いたが、
輪番停電の負担を周囲に押し付けて、普段通りという演出の中にある首都東京。
既にオイルショック的な買い占めパニックが発生したことからも、
更なる「万が一」が起こったとき、直接的な被害が届かないものだとしても
おそらく大パニックは避けられないだろう。
幸いなことに、原発についてはいろいろな情報が伝わってくるようになった。
情報を入手しようがない状態、情報が統制されている状態、ともに危険だが、
今の感じを見ている限り、もちろん現場の危機状況というのは続いてはいるのだが
一般人としては「プロの仕事に期待し、成功を待つ」ことが出来る。
情報の無さに対する不安から発生する人災を、警戒しなくても済む。
ここまで考えて、ふと思った。
最悪のシナリオというのは…
「自分でモノを考えず、他人から与えられた情報やマニュアルなどでしか動けない」
一部では既に始まっているように思う。
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