1
Thu, 09 Nov 2006 16:57:34
珍説 旧約聖書
前回、旧約聖書の話を書いた時は、
神から何らかの力の行使…神罰とか救済とかを受ける側の、
人サイドの話をしてみたわけですが。
それはそれで、教訓というのは多数読み取れるかと思います。
なんか、読んでたら、神サイドの行動というか、
そんなものを、なんとなーく感じた気がして。
絶対神、というよりは、何かずいぶん人間的だなぁ、と。
力がある分、ガキ大将的とでも言うんでしょうかね。
俺が神だ、俺の言うことを聞け、みたいな。
たまに、いやーやりすぎた、とか反省したりして。
でももしそれが、客観的意見の代表だとしたら。
神の目に正しいと映る行為…客観的に見て、誤解もなく正しい行為。
まぁ、随分と横暴な神様だなぁ、なんて気もしますが…
なんて言ってたら怒られそうですね(汗)
筆者、前にも書いた通り、多神教無宗派的ですので、
特定の信仰のある方とは考えを異にするかとは思いますが、
絶対神とするか、いろんな媒体に宿る神とするかはともかく、
超客観的なところにある力、ってのは一緒かなぁ、と思います。
これが人の主観となると、他人を客観的に見ようとしても
「見えてない部分」に翻弄されたりなんかして、ね。
旧約の神様は人間らしくて、横暴な性質なんですか。
抗えない力を持つ、超越した存在への畏れって言うのでしょうか、「お天道様に申し訳ない」的な、そういう気持ちはいつも持っていたいなぁって思ってます。
まぁ、横暴でも、ちゃんと正しい方向へ導こうというか、
良くないことはやっぱり良くないと言って粛正したりしてるなぁと…
ただ、たまに、「私も嫉妬のために過剰に力を振るった」みたいな記述が
出てきたりするんですね。その辺が人間的だなぁと。
お天道様に申し訳ない、
良いスタンスだと、私も思います。
自業自得って言うのかな、
やっぱり、どこかで超越した存在が見ていて、
それがやがて返ってくるというのを実感している今日この頃です。