洋画と字幕と、
かなりな量の映画を観まくっている筆者です、こんにちは。
あらためて数えてみると、今年に入って80本。
まだ半年経ってないのに~。
とまぁ、そんな筆者ですが、
今日の話題は、洋画の台詞と字幕の話から。
筆者、あまり英語は得意ではないのですが、
映画を観る時は、字幕も見つつ、出来るだけ耳も使うようにしてます。
声のトーンや言葉の速度などによるニュアンス的な部分とか、
字幕に書ききれないくらい何かあれこれ言い回してるなぁとか。
面白いもので、他言語のモノでも、「さっき使われてた言い回し」を
記憶していたりして、後のシーンで「あー、それそれ」などと思ったりします。
まぁ、作品見終わると記憶から落ちてしまうので、
会話力が育ったりはしないのですが(汗)
さて、そうやって英語と接してる中で思ったこと。
ト書きやナレーションはともかく、
セリフってのは基本的に会話なわけですし、
くだけた表現だったり隠語だったり、
汚い表現だったり回りくどい表現だったり、
いろんな言い回しが出てきます。
毎度毎度、文法に沿った論理的構成の文章ばかりは出てこないですし、
辞書引いたとしても、最後のほうに載ってるか載ってないかというような
口語表現での隠語的意味という含みがあったりもします。
文化的背景の異なる言語では、なかなかピッタリくる意訳語も無いですし、
字幕への翻訳じゃ更に文字数的な問題もあるし…
なかなか難しい世界だなと思いながら、洋画を見るこの頃。
そんな中、ふと思ったのは、
これって、現代日本人が古典芸能に触れた時のギャップ感と近いのではないかな、と。
当時のヒトならまぁ誰でも知ってるだろうという、時代背景。
民間伝承だったり、当時流行の何かをパロディにしたものだったり。
そういうものを全て排除して、
理解できる言葉だけを論理的に並べての会話になることってどうなのかなぁ、
なんてことを考える筆者でした。
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