モノつくりと対価
著作権が云々というコンテンツの話から工業製品や農作物に至るまで、
根源的な部分では共通だと思うのだけれど。
作り出したモノというのは、基本的に誰かに提供したい。
まぁ中には「自分のために作ったモノ」というのもあるけれど、
基本、作り出した価値を誰かに届けたいわけです。
そしてまた、誰かの作り出した価値を、リスペクトを持って受け取りたい。
そしてもちろん、
物々交換で済まないやりとりも多々あって、
そこには貨幣経済が介在してくるわけです。
ところが。
そうやって諸々込められた価値を吹き飛ばすかのような使い方、というのもある。
芸術品を溶かして地金の価値に戻したり、
新品未使用のモノの価値を無視して破壊したり、
要は原提供者の意図から大きく外れた使用、という行為ですね。
更に、
あんまり出来が良くないと評価したけど時間使って楽しんでやるから、使う時間に見合った対価を寄こせ、
みたいなことになってくると、もう完全に本末転倒。
貨幣経済が実対価から乖離して、数字増やした人が勝ちというゲームになったとき、
本当の価値の移動とはかけ離れた「後付けされたそれっぽい理由」が強くなってしまいますし、
時間、技術、労力などのコストをかける意義が薄くなってしまうでしょう。
貨幣が必ずしも金兌換である必要は無いとも思うけれど、
額面に見合った価値というのは個々人の中に尺度として持って居たいなぁ、
と思う筆者でした。
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