ヘタだということ
内なる想いとしてのヘタ。
外からの評価としてのヘタ。
演出や指導の立場から飛んでくるヘタ。
ヘタにもいろいろあるけれど。
外からの評価としてのヘタってのは、
あぁ、ヘタという評価で結構!
むしろあなたの嗜好がわかりました、ありがとうございます。
だと、筆者は思います。
まぁ、万人受けするコンテンツを目指したいのなら別ですが、
筆者的には賛否両論あるコンテンツのほうを推したいところもあり。
その辺りの話は、リンク先の過去エントリを参照いただくということで。
もっとも…信念持たずに当たってみての結果だったら、
それはちゃんと指摘を受け容れて改善に活かさなきゃいけないでしょう。
演出や指導の立場から飛んでくるヘタってのは、
先に挙げた「外から」とはだいぶ立ち位置が異なります。
とは言え、
どちらかと言えばそう動くことができた方がウケが良いだろう、という視点と、
こう動けと言う指示に対してなぜその通り動けないのか、という視点と、
状況によってその立ち位置は様々だったりもするのですが。
ただいずれにせよ、
能力向上に向けての激励であることは間違いないわけで。
一時的にチキショーコノヤロー!って思ったとしても、
その感情はエネルギーにして成長方向に向けてナンボだと、筆者は思います。
はてさて。
自分の内なる想いとしてのヘタ。
それは、思ったことが思った通りに出てこないもどかしさなのか、
はたまた、ウケの良いモノを思いつくことができないところにあるのか。
前者であれば、これはもう努力しかないですね。
でも、その努力を「がんばってますって言っちゃう」んじゃなくて、
粛々ととにかく努力していく以外には無いでしょう。
でももし後者だったら…
それは、自分がターゲットしたい対象をそこにしたこと、
選んだこと自体が分不相応なのではないか、とも思いますし、
それはそれで目標点の1つとして、まずば別のモノから取りかかろう、とか、
何かあるとは思うんですよね。
…とまぁいろんなパターンを書いてはみましたが、
何だかんだ言っても結局どれかの「ヘタ!」からは逃れきれなかったりするのが普通なので
気に病み過ぎちゃうのも良くないんじゃないのかな、
適度に受け流して、良い方向へと力を使っていきましょうよ、
という想いで走っている、筆者でした。
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