プロと100点
「100点」というものをどう捉えるか?
人によって答えが変わってくるであろう、
ある意味、永遠の課題かもしれない話。
これは、あくまで筆者がどう捉えてるか、っていうお話です。
「100点」っていう数字は相対スケールだと思います。
自分の中だけでの評価として最大値を100としたスケールを設定したのであれば、
最も高い理想、究極形と呼べるものがそれに該当すると思います。
そして、その100を成功させたら、あるいは連発できるようになったら、
それはチャレンジすべき価値のあるものではなくなり引退へと…
自分の中での究極形を100とするのではなく、
Qualify Lineを100とすることもあるでしょう。
この場合、100を超えたものは成功作、100に届かなかったものは失敗作。
究極形が完成した場合は120なのか150なのか200なのか、はたまた1000なのか、
それは妥協ラインをどう考えるかと言うことでもあり、
あるいは日々の鍛錬による能力向上の結果「簡単だぜ!」になることなのかもしれず。
逆に、外からの評価をもってスケールを定めることもあるでしょう。
対価と釣り合っていると感じるラインを100とすることもあるでしょうし、
相手が完全に満足した、という究極形を100とするのもまたあるでしょう。
どの文脈で採点するか…
自分の中での究極形を100としたスケールで100を目指し続けつつも99.975とか限界まで寄っていくものなのか、
今回のQualify Lineを高望みするか低めに見積もるかした中で100以上が出せればいいのか、
そのQualify Lineとお客様の対価に対する満足度の100同士の摺り合わせ精度で見るのか、
もっと単純にお客様が対価に対して満足するラインで採点するか、
お客様から微塵のツッコミも無いくらいの究極形を基準に考えるのか。
たぶん、プロ自身は自分の中での究極形を100としたスケールで見てる。
でも、外から見たら、摺り合わせられた対価=Qualify Lineを100として見てたり。
こういうスケールの文脈を摺り合わせずに交換された点数質疑ってあまり価値が無いんじゃないかな、
なんてことを思った、筆者でした。
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