あたらしい経済システムという思いつき
今の世の中は「資本主義」と称されている。
そろそろ歴史の枠に入るであろうソビエトは社会主義型の平等分配だったが、
あれは高評価でも低評価でも分配額が一定という仕組みが悪い方向に働いた結果
評価される行動を取らなくなって停滞方向に振り切ってしまったということだろう。
かと言って、では今の資本主義をよくよく考えてみると、
最も効率的に金銭を手元に蓄えることが出来るものに向かって取捨選択が進む、
というバイアスが掛かっていると感じる場面が多々ある。
そして、本来天秤にかけるべきではない同士までもが天秤にかけられ、
よくわからないまま淘汰されつつあるのではないか、と思うこともしばしば。
そんな中でふと思いついたことを、今日は綴ってみたい。
流通する貨幣価値の総量は一定である…
まぁ、概ね正しいのではないかと思う。
金兌換制だろうと管理通貨制だろうと、
お金というものを物々交換の対価代用物として見れば、そこは揺るがない。
総価値が変わらないのに発行単位数が増えてしまえば、1単位辺りの価値は下がる。
だからこそ流通量を制限する機構も存在するわけだけど、
もっと抽象化して単純に考えたら、一人アタマ何円持ってスタート!という人生である。
例えば1億人の国家で100兆円が流通していると仮定すれば、100万円スタートってこと。
建前上のルールとしては、
マイナスにならないようにお互いに価値を創造し合いましょう、ということ。
でも実際のプレイヤーの中にはモノポリーを狙うヒトも居れば、
マイナスになる程に搾取された結果、借りることで一時的なプラス状態を作って
活動を維持せざるを得ないヒトも居たりするわけで。
そう、根源的な部分として、
仮想的にでも手元はプラスの状態(100万の借金証文と手元現金5万円、みたいなこと)を
維持しないと回らないとしつつも、仕組みは下駄を履かされたゼロサムゲームなので、
先に挙げた例で行けば100万円スタートというラインと
マイナスに落ちないための0円というラインが存在するということ。
だったら。
そういうボーダーラインを取っ払ってしまうとどうなるだろう、という思考実験。
誰しも生まれた時は0ポイントからのスタートってことにして、
一時的なプラスを維持するための利息なんて話も一切無しのマイナス許容、
人生中途の破産も無いけれど死後に栄誉評価で
あいつは多大な価値を創造する人生を送った、とか
こいつはロクな価値を生み出さず死んでいったがいろんなものを「いいね!」した、とか
そういう方向に一歩踏み出した経済システムってのも良いんじゃないかなと
筆者はふと、そんなことを思いつきました。
そうすれば、経済停滞で財布の中身が乏しいからという理由で
とても評価したいと感じているけど自身の生活維持のためには財布の口を緩められない、
なんていう悪循環は無くなるし、
対価としてのポイント移動はあるわけだから評価に興味がなくなっての停滞も無くなるし。
ゲームで敵を倒せば何も無いところからゲーム内通貨が出てくる、
っていうのはあくまでゲーム世界の話であって、
現実の通貨は対価として移動を繰り返す総量固定のものだ、
っていう認識を忘れちゃいけないなぁ、という話でした。
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