ロープライス珈琲
ファーストフード、あるいはコンビニ。
最近、(機械抽出ではあるけれど)きっちり淹れた珈琲を低価格で提供、
というスタイルでの販売が増えている。
しかし…筆者はこれにはイマイチ惹かれないのですよ。
別にね、飲んでみた美味かった不味かった、という部分では無くて。
飲料としての選択であれば、
清涼飲料水だって果汁だってミネラルウォーターだって、いろいろある。
そこに従来の缶珈琲とは一線を画す本格珈琲が参入してきた、
というのもまぁわかるけれど、最近は缶珈琲も進化している。
じゃあ珈琲に対して何を求めるか?
珈琲に限った話ではなくてね、紅茶でも何でもと言いますか、
要は「喫茶店という空間」に求めていたモノが省かれてしまったのが
最近巷に出てきているコンビニ珈琲だと、筆者は思うわけです。
喉を潤す、味を愉しむ、というだけではなくて、
一人でくつろぐ時間、誰かと過ごす時間、
そういった「時を過ごす場所」を含んだものが喫茶店であり、
そのホスピタリティを含んだ対価が珈琲一杯の値段なのだと。
旅先の宿として何を選ぶか、なんてのも多分同じことでしょう。
寝るだけなら野宿装備で寝袋でもあればそれでいい。
雨風を凌ぎたいのならカプセルや安ビジネスでいい。
多少は癒しを求めるなら快適さを売りにしているホテルを選ぶでしょう。
その土地ならではの時間を過ごしたいのなら旅館のほうが良いかもしれない。
非日常を全面に押し出したいのであればブティックホテルも候補かもしれないし。
新しい着眼点は素晴らしいしそれを否定するようなことはしないけれども、
元々あったはずのものがいつの間にか見えなくなっていて
それは以前の視点からは見えていたのに新しい視点では柱の陰だったのだ…
ということにも気をつけなきゃいけないな、などと思った筆者でした。
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