偽装やら捏造やら
なんだか不穏な話が渦巻く世の中ですね。
でも、その偽装や捏造の方向性を「求めてしまっている」のは
実は消費者側なんじゃないのかな?と思う節もあったりします。
例えば「より良いモノをより安く」。
リミッターとして「真っ当な範囲で」と付けた上でのことであれば
それほど酷いことにはならないのでしょうが、
普通に考えて、良いモノは高価であり、安価なモノはどこか負の要素があるハズです。
新技術によって1機材増えたけど3工程減らすことができたからちょっと安価になりました、とか
そういうのは歓迎されるべき内容でしょう。
しかし、何かを1ランク下げて簡素化しましたとか、雰囲気だけ1ランク上げて豪華にしましたとか、
そういうのは「真っ当な範囲」では無いのではないでしょうか。
それでも上辺だけの空虚な豪華さを求め、大事なモノが抜けているにも関わらず安価を有り難がり、
地味に堅実に真っ当なモノを作り続けている者からは目を逸らす。
そういう消費者による取捨選択の行き着いた先なんだろうな、と筆者は思うのです。
テレビ番組だってそうです。
エンターテイメントとして面白ければ何をやっても良いのか、と問えば、
そんなことは無い、倫理的観点からも考えなければ、と言い、
真面目に研究した結果つまらない結果が出たモノをそのまま放送しようとすれば、
そんなつまらない結果を誰が好き好んで視聴するのか、と言い…
先ほどの「より良いモノをより安く」と同じことですね。
命題そのものは二律背反で、その落としどころを探すのが筋だと筆者は思うのですが、
どうやら一般的な視点では、その解となる交点から更に両方向に押し出そうとしている様子。
もちろん、そこは提供する側の進歩で少しずつは行けるようになるのかも知れないけれど。
でも、それは受け取る側が騒いで要求するような話じゃ無い。
「お客様は神様です」とか「子供のやることですから」とか、
なんでもやって良い免罪符では無いのです。立場が逆でしょ、と思うこともしばしば。
あぁ、利己過剰な世の中になってしまったのかもしれませんね、今の日本は。
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