ケータイ通話
なんだか、ケータイへの着信に出るか出ないか、
という話がにわかに盛り上がっている。
しかしこの話、固定電話時代の話とその後の移動体通信時代の話、
そして現代ケータイ事情の話というのが混ざってしまったが故のことのように
筆者は思うのです。
事務所で固定電話の前に座っている人、
それは基本的に「電話の着信を受け付ける体制にある人」であり、
すなわち着信があったら直ちに出なければなりません。
移動体通信時代、アナログ携帯電話が出た頃というのは、
外出先でもとにかく電話を受けなければならない立場の人たちが
使用していました。
つまりこれもまた、着信があったらすぐに出るという体制にある人が
その機材を所持していたことになります。
対して、同じ時代であっても、
家庭の固定電話回線であれば不在や離席も多いことでしょう。
専業主婦が家庭の電話交換手の役目、なんてこともありません。
そう、つまり、
電話の向こう側というのは、「着信を待っている体制の人」だけではないのです。
さてさて。
デジタルケータイが登場してから15年ほどでしょうか。
今ではポータブル複合電子デバイスとしての高機能化も相当なことになっています。
猫も杓子もと言いたくなるほどに世の中に普及したケータイを「所持している側」にとって、
果たして「手元にケータイがある」が「着信待ち状態」に直結するのかどうか…
筆者は、Noだと思うのです。
ケータイにおける通話機能のメリットは、
「公衆電話を探して本部へと連絡をする」という環境からの脱却、
つまり公衆電話を探す手間の削減だったり外出している2者間での直接通話だったりが
容易に行えるようになったこと、だと思います。
そう、決して、「いつでも連絡が取れる状態にある人間が増えた」のではないのです。
喋りのキャッチボールで進む話もあります。
メールのやりとりで履歴を残しながら進む話もあります。
でも、「電話に出ない」の話の本質は、
「時間軸的な束縛」つまり「相手の時間軸に強制的に割り込むこと」への忌避なのではないかな、と
筆者は思うのでした。
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