表現と評価
世の中、いろんなコンテンツがある。
趣味で作っているモノ仕事で作っているモノ、といった分類もあるし、
音楽だったり写真だったり演劇だったり、といった分類もあるし、
音楽だけ取り出してみても、ロックやポップスやクラシックや…
とにかく、細分化したら、キリがないのだけれど、
そんな中、自分の表現と他者からの評価といった、常について回る課題がある。
ところで。
コンテンツの種類がそれだけ多岐にわたっているという中で、
コンテンツを見る視点というのもまた、多岐にわたっていることと思う。
例えば…
ロック好きとクラシック好きが、あるハイレベルなロック音楽を評価した場合
抽象画好きと写実画好きが、あるハイレベルな抽象画を評価した場合
…など、間違いなく意見が分かれるんじゃないかと。
そしてまた、
ロック好きとクラシック好きが、ある真似事レベルのロック音楽を評価した場合
抽象画好きと写実画好きが、ある真似事レベルの抽象画を評価した場合
となったら、意見の分かれ方はどうなるだろうか。
(例の選択には他意はありません。念のため。)
恐らく、
あまり好きではないジャンルに関しては無関心か、
あるいは、自分の好きなジャンルで活躍してくれたら良いのにと思ったりとか。
対して、
好きなジャンルに関しては概ね高評価か、期待値込みで甘めの評価か、
あるいは、ド素人が紛れ込んできたら、しっかり勉強してこい的な辛辣意見か。
まぁ、何にしたって、そんなところだと思うのです。
そしてそれが、作る側同士だった場合、
甘め評価だったら馴れ合い、無関心だったら感性の違い、とか。
何というか、いずれにしれもモッタイナイよね、
なんてことを思うのです。
八方美人的にあちこちに媚びて行った結果、自分の表現って何だっけ?
となってしまっては本末転倒ですが、
いろんな世界に触れつつ対応しつつ、でも自分の目指す世界はコレ、みたいな、
違うパターンのオーダーにもキッチリ応えるけど自分主導の時はコレだよ、みたいな。
そして、自分の評価基準は自分主導の時にキッチリ発揮してモノづくりをして、
それが他人からどう評価されるかはまたそれぞれの受け手次第、といったところで。
そしてそれは、自分が目標とするところに対しての評価結果との乖離を分析して、
自分の次の行動基準を少し軌道修正することに繋がったり、とかね。
そうやって進んで行かなきゃ、と。
テキトーに好きなように作り散らかしてちゃイカンよな、と。
そんなことを思った、雑記でした。
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