おいしい珈琲
久しぶりに、おいしい珈琲に巡り合った。
…いや、豆選びとか、ブレンドの配合率とか、
あるいは器具とか温度とか、そんな話では、ない。
どうしても敢えて一言で表現せよ、と問われたら…
そうだな、淹れ手の最も良く表れた味、とでも言おうか。
それをサーブした淹れ手は、
「今日のは自信無い」と言っていた。
一口、飲んでみた。
…確かに。
荒々しい、不安定な味。
何に限った話でも無いが、
モノを創るというのは、とても繊細な作業である。
マニュアルに従って、レシピに従って、
同じように作業したつもりでも、同じにはならない。
気温やら湿度やら、といった外的要因だけでもない。
繊細に、精巧になればなるほど、
そこには、創り手の感情が、乗る。
…話を、今日の珈琲に戻そう。
普段とは異なるであろう、その荒々しい味の中に、
この要素こそが普段の味だろうな、と思える、
珈琲豆ならではの、甘く繊細な薫りが、あった。
氷が少し、融けてくる。
空気に触れ、時間と共に、
荒々しい不安定さが、解けてくる。
…そんな、珈琲だった。
まるでそれは、
エピソードとともにワインの封を切り、
時間とともにその変化を愉しむような、ひととき。
ちゃんと淹れられた上での、
感情のスパイスが効いた、味。
この淹れ手による次の珈琲は、
いったいどんな味になるのだろう。
毎年同じ畑のワインを飲み続けるような愉しみを、
一杯のアイスコーヒーで感じた、そんなひととき。
腕に自信、持っていいと思うよ。
ごちそうさまでした。
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