なんとなくyanma。

www時代以前からInternetに居る人の、日常の1コマ。
Fri, 20 Jun 2014 14:00:43

現代責任概論

なんでしょうね、
責任逃れというよりは、責任押しつけ合戦みたいな。

「無責任」の暴走、とでも言うんでしょうかね。


原因と結果。
選択と責任。

…本来、自分の行動は自分の責任で、
誰かに依頼をするにしてもそれは依頼先を選んだ責任というものもあり、
みたいなことだと、筆者は思っているのですが。

個人商店から勤め人の時代になり、
気楽な稼業のサラリーマンは責任者のまた責任者へと責任を転嫁して無責任男を満喫し、
売買をはじめとした各種契約も能力供給から完動品供給に比重を移し…

しまいにゃ、供給側からしたら想定外の使用法により発生した問題までも、製造物責任と称して、
変な使い方をした人の責任ではなく変な使い方をしうるものを作った人の責任になったり。

…あのね。
自分の生き方は自分が頭を使って考える。
便利そうなモノを入手して、それをどう使ったらもっと便利になるのかは自分で考える。
そこにこそ、主体性もあれば責任もあるわけで。

何かを選ぶところまでは主体性があったにせよ、
そこから先はマニュアル通りに操作をさせられ、
展開されるストーリーに従って攻略本通りに操作をさせられ、
導かれるがままに進む姿というのは、どこにも主体性がなくて。
…いや、本当に主体性を持って選択したのかどうかさえも怪しくなってきて。

その辺りのスタンスの違いって、
「つまらないものだということを学習したことも有意義だ」になるか、はたまた
「つまらん!金返せ!」になるか、
ってところにも繋がってくるんじゃないかなと。

たとえば、目の前に救命機材があるとして。
うまくいけば助かるかもしれない、この機材に賭けてみよう!と
主体性と自己責任で選択できるスタンスの人であれば、
たとえ失敗に終わったとしても、その機材に「ありがとう」と言えるでしょう。
対して、その機材に責任を転嫁してしまう人は、
「なんで成功しなかったんだ!救命用の機材を使ったのに!」って怒り出す。

まぁ、誰かのせいにすることで
そこで発生した損失を押しつけて自分はダメージを回避できる、
っていう側面もあるのでしょうが、それって
「関係ないはずなのに損失を押しつけられかねない」っていうことでもあるわけで。
押しつけられかねない側からしたら、
「んじゃそんなの許可できないからお前これ使うんじゃねぇよ」って言いますよね。

つまり、
誰かのせいにする人は、社会的に許される行動がどんどん減ってしまうわけです。

あんまり減ってしまうと、
新しいことへのチャレンジすら規制に引っかかってなかなかできなくなってしまいます。
進歩発展の可能性すら、自ら失って行ってしまうわけです。

どっちが良いか…
筆者としては、責任を伴う自由のほうを選択したいですね。
みなさんだったら、どっちを選びますか?

Posted by yanma  Category:雑記帳  comments:0

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